教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-034/52page

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心に残る一冊の本


まじめにやれば…

いわき市立高野小学校教諭

団 野 勝 一

団野勝一

 

心に残る本を春休みに読み返しました。

高校時代に読んだ倉田百三さんの「出家とその弟子」には、当時十六歳の私が鉛筆で線を引いていた箇所がありました。「おまえの寂しさは対象によっていやされる寂しさだが、私の寂しさは……人間の運命としての寂しさだ。……略……」「寂しい時は寂しがるがいい。運命がおまえを育てているのだよ。ただ何事にもひとすじの心でまじめにやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。……略……しかしまじめにさえあれば、それを見いだす知恵がしだいにみがきだされるものだ」

親鷺が弟子の唯円に語りかけている部分です。「まじめにやれば知恵がみがきだされる」という言葉は、今でも好きです。

五木寛之さんの「大河の一滴」を読みました。その中で「出家とその弟子」について記述している部分をみつけ、驚きました。なぜなら、数日前にみつけた線が引いてあった内容と一致していたからです。彼はその部分を「いっかはおとずれる本当のさびしさ」という題をつけて紹介していました。

大学時代は、愛や孤独という内容の福永武彦さんの「愛の試み」や新田次郎さんの作品が好きでした。その後、教育関係の本や推理小説、漫画を中心に乱読しました。

昨年は、勤続二十年で図書券をいただき池波正太郎さんの「剣客商売」計十八巻を購入しました。読み始めたらやめられない面白さがあります。

このように、私の読書は、心が共鳴するものから作者のつくり出す世界の中で私自身が楽しむものへと変化していますが、今回心に残る本を読み返したことで、「出家とその弟子」が、大切な本になりました。

十六歳と四十三歳の私を共鳴させる本は貴重です。

本の名称:出家とその弟子
著 者 名:倉田百三
発 行 所:新潮社
発 行 年:一九九六年十一月
本コード:ISBN四−一〇−一〇五九〇一−二



「愛」を信じて

県立須賀川高等学校教諭

高 木 ゆ み

高木ゆみ

私は映画が好きでたまらない。進学先を東京に決めたのも、実は新しい映画を真っ先に見たいがためだった(その昔、福島と東京では映画の上映にかなりの時差が存在していた)。大学卒業後は映画の字幕を翻訳する仕事にでも就けば趣味と実益を兼ねられると考えていた安易な夢は、当時の就職難にあえなく破れ、郷里に帰るに至った。

あれから何年過ぎても映画好きの虫はおさまらず、英語の授業ではここぞとばかり映画の台詞を例文に引用し、私なりに趣味と実益(?)を兼ねていると、ひとり悦に入っている次第である。

そんな私が特に血が騒ぐのがアカデミー賞決定の時期である。特に最近は詳細が日本にも伝えられることもあり、マスコミで話題の大作よりもマイナーな作品に心を奪われることが多い。中でも昨年の最優秀短編映画賞に日系の米国人監督による「ビザと美徳」が選ばれたことが何より印象に残った。

この作品は第二次世界大戦初期に現在のリトアニアで、多数のユダヤ人をナチスによる迫害から救った杉原千畝総領事を描いたものである。受賞理由は、この賞本来の高い芸術性を評価されてということ以上に、実話に皆が感情を動かされる作品だからとのこと。彼の妻、幸子(女史)による「六千人の命のビザ」を読み、深く感銘を受けた者として納得のいくものであった。この本の内容は外務省に背いてのビザ発行に悩む夫を見守り、人にとって最も大切なものは「愛と人道」と信じ、信念を貫く夫を支える妻の記録である。後に外務省を追放された彼のこの行為は、戦後数十年を過ぎてようやく内外で評価されるが、二人にとって戦後は辛いものであったに違いない。

折りしも教科書にこの話があり、生徒達と語りあった。「戦争を知らない」私達は、今一度その悲惨な歴史をふり返り、杉原氏の意志を継ぐべく、心に「愛」という言葉を刻まなければならないのだ。

本の名称:六千人の命のビザ
著 者 名:杉原幸子
発 行 所:朝日ソノラマ
発 行 年:一九九〇年六月三〇日
本コード:ISBN四−二五七−〇三二九一−X


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