教育福島0219号(1999年(H11)6月号)-035/52page

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心に残る一冊の本

生きるということ

舘岩村立舘岩中学校教諭

樋 口 睦 美

樋口睦美


私は、原爆の被災地ヒロシマの生まれである。しかし、中国山地の麓の町で生まれ育ったため、ヒロシマについては対岸の火事のようで関心が薄いものであった。

小説『黒い雨』は、原爆罹災の家族を夫の目を通して書き綴ったものである。「広島県人として一度は読んでおかなくては」程度のきっかけで本を開いた。

原爆ですべてを失った閑間重松は、家族と共に郷里の山間の小村で、やや落ち着いた生活を送っている。重松は、結婚適齢期を迎えた姪矢須子の被爆の潔白を晴らすために、封じ込めていた当時の被爆体験日記を公にしようと決意する。被爆後の安芸地方ののどかで平凡な暮らしと、投下直後の悲惨な出来事が、交差しながら小説は進んでいく。重松は回顧していく過程で、被爆の状況が当時よりもさらに鮮明となり、心に沈んでいくが、姪に対する無言の愛情が全体を通して流れている。

今、原爆に対する事実の調査は尽くされ、政治的なモラルの問題が果てしなく論じられている。また、いくら時を重ねようとも、現実は目を背けたくなるような地獄絵である。主入公は、究極の惨劇を、日常の中で冷静に受け止め、時にはユーモアすら感じさせる。度量の大きい人である。不界議な小説でもある。

極限の状況におかれたとき、その事実をあるがままに受け入れ、淡々と生き、時を重ねていくことのむずかしさと大切さを感じさせられる。この小説は、被爆の悲惨さと同時に、(それよりも)しみじみとした人生永遠の哀愁のこもった文字の傑作である。

改めてこの本を読み直し、コソボ情勢のニュースに関心をもち始めてきた小学四年生の息子と共に、もう一度郷里の原爆資料館を訪ねてみようと思っている。

本の名称:黒い雨
著 者 名:井伏鱒二
発 行 所:新潮文庫
発 行 年:一九七〇年六月二十五日
本コード:ISBN四−一〇−一〇三四〇六−〇



父と子の付き合い方の手本

県立いわき海星高等学校教諭

梅 田 智 也

梅田智也


一昨年、教科書中の「岳物語」を授業で取り上げたのが、この作品との出会いであった。授業を進めていくうちに強く興味を持ち、文庫本を熟読するようになった。

作者曰く、「オヤバカをベースとした男と男の友情物語」。確かに、友情と限りない息子への愛情を感じさせる内容である。

仕事上旅行に行くことが多く、帰ってくるたびに成長している息子に目を見張り、次第に精神的な自立をしていく息子を温かく見守る「おとう」の視線を通して、岳少年の全てが目に見えるような気がしてくる。朝起きて学校へ行くまでの行動に半ばあきれ、半ば感心し、いっぱしの釣り師のような表情に、身も心も釣りに打ち込んでいることを認め、少しずつ自分から離れていく事実を温かく受け止めている。特に印象に残ったのは、長い旅行から帰ってきた作者を迎える岳の変化である。小学校低学年の頃は、とびついてきたのが、次第に頭を押しつけてくるだけ、そして「ポケットに手をつっこんだままニヤリ…『おとう帰ってきたのか』」となる。こうした言葉の変化は普段からじっくりと見ていないと冷静に受け止めることはできないだろう。しかも、単なる観察ではなく、一つ一つの描写に父親としての想いが込められている。これが椎名誠父子の心のキャッチボールというものなのかもしれない。自分の小学生の頃は果たしてどうだったのだろう。自分の父親も同じような想いを抱いていたに違いない。(たぶん)

泊まりがけで釣りに連れて行くたびに「次回はまた一緒に来られるだろうか」と、父親を心配させ、中学校の入学式で、「父と子の一つのやさしい時代が終わった」と、父親に思春期の世界へと送り出された岳少年。そして、岳青年は今、どんな大人に成長しているのだろうか。

本の名称:岳物語
著 者 名:椎名 誠
発 行 所:集英社文庫
発 行 年:一九八九年九月二十五日
本コード:ISBN四−〇八−七四九四九〇−X


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