教育福島0221号(1999年(H11)9月号)-026/52page
ような言葉をすくい取り、導いてくださる寛容で聡明な先輩方に恵まれてきたように思う。子育てをしながら仕事をしているうちに、夫に要求することが多くなり、不満も募ってきてもがいていた頃に、ある先生は、「ご主人にやさしく接しなさい」「ご主人だけ料理を一品多くするぐらいの努力をしなさい」「三日できたら一週間、1ヵ月、六ヵ月、一年と続けていきなさい」と教えてくださった。ある先生は、「お父さんがいないときこそ、お父さんの話題を子供たちにしてあげなさい。お父さんはいなくても、お父さんのことを伝えるお母さんがいるでしょう」と教えてくださった。涙がわけもなく流れ、ついさっきまで全て夫が悪いと思っていた自分、努力を怠っていた自分を恥じ、何とか自分で立て直そうという気持ちが湧いてきたことを鮮明に思い出す。現在、あの時の「言葉」を実践してきたおかげで、私は夫婦の危機も子育ての危機も乗り越えてくることができた。自分を育てていくことで周囲を変えていけることを実感している。日常どんなことに対しても「こうしたい」という方向を決めて、心を開いて人と接するうちに不思議なほど「こうすればいいかな」という答えが見つかってきた。考えただけで実践しないのは愚かなので、必ず実践し努力するようにしてきた。
私の内側で起きたこのことこそ「教育」そのものだったと思う。生徒に必要なことを植物に水をやるように、それも渇き加減を見はからいながら少しずつ段階的に、そしてタイムリーに働きかけていくことによって、生徒は元気で明るく努力するようになっていくのではないか。その努力を見守りながら、また次のステップを用意してやる観察力と余裕をもち、常に「こんな子になって欲しい」と思い続けること、そのために支援する努力を怠らないことが大切だと思う。努力し続ける限り、越えられない山も渡れない川もないと信じ、あと十余年この仕事を頑張っていきたい。
(県立西郷養護学校教諭)
体験から感動へ
只野幸廣
「雨の日、登校する生徒たちの傘の花が開く朝」が、学校の風景ではなくなりつつあります。
雨の降る朝、親の自動車で登校する生徒の何と多くなったことかと思いながら、豊かな国の豊かな生活の一端ではあっても、そこに釈然としないものを感じます。
かつての生徒たちが、登下校途中、雨にぬれ、風に吹かれたりすることは、はたして「辛い」ことだったのかとも思います。友達と一緒に、毎日の登校の途中に蝶を追い、麦の茎で笛を作り、ススキの穂を振り回し、雪玉を投げ合いました。梅雨時でさえ、道路に上がってくるザリガニをお供に登校し、傘をかついで下校することまで、なんとなく楽しいものでした。「今朝は、ぬんにぇがったが」の家族の言葉により、大切にされている、家族の一員であるという帰属意識を実感し、安堵しました。
そして、毎日、短時間でも外気に触れることで、月日の進むことと、季節の移り変わりを感じ、感性も養われていたようです。
今、国語の授業を担当し、俳句の作者の気持ちに迫ろうとしても、ノリが悪いことがあります。いろいろな経験が乏しいせいでしょうか。経験は、勉強のために必要だというのではなく、種々の体験を通して身に付く感性が、豊かな心を育み、人として生きるとき、それがとても大切なものだと思うからです。そして、それが俳句のもととなっているのだとも思うのです。
また、共通の体験をする場に恵まれることで、「楽しい」「辛い」という、自分と他人の経験だけでなく、意識・感情の共有も可能となり、他者の心を推し量り、互い