教育福島0221号(1999年(H11)9月号)-036/52page
心に残る一冊の本三つの心構え
県立あぶくま養護学校長
久保恒義
道元といえば、すぐにその主著である「正法眼蔵」が思い浮かべられようが、道元には今一つ「大清規」(だいしんぎ)と呼ばれる一群の著述がある。「清規」とは、禅院において修行僧が生活する上で拠り所とすべき心得と考えればいいだろう。
「大清規」は六巻から成っており、第一巻が「典座教訓」(てんぞきょうくん)であり、第五巻が「赴粥飯法」(ふしゅくはんぽう)である。典座教訓は食事を作る者の心得を、赴粥飯法は食事をする時の心得を論述したものであるが、前者には教師として心得るべき点も多い。
典座職の心構えとして一貫して流れている基本思想は、巻末に集約されて「三つの心構え」の形で1)喜心(きしん)、2)老心(ろうしん)、3)大心(だいしん)について述べられている。その要旨を紹介すれば、次のとおりである。
禅院の諸役である知事や頭首(ちょうしゅ)などの役職に就くようになったら、喜心・老心・大心という三通りの心をしっかり持たなければならない。まず喜心とは、他人のために事をなすことを喜ぶ心であり、老心とは老婆親切心を言い、他人に奉仕する心であり、大心とは、どっしりと広々として、一方に片寄ることのない心が大切だ、という。
全編を通して、心に残る言葉はたくさんあるが、特に典座の心の用い方を述べた部分に、次のような言葉があり、時々仕事の反省をする際の視点の一つにしている。
まず、典座職たる者は、調理をするに当たっては、「凡眼(ぼんげん)を以って観ることなく、凡情を以って念(おも)うこと莫(なか)れ」というもので、ものを差別的に観て善し悪しの判断をし、取捨選択をするようなことはしてはならないということだろう。
また、「若し彼の猿馬をして、一旦退歩返照せしめば自然(じねん)に打成一片(たじょういっぺん)ならん。是れ乃(すなわ)ち物の所轄を被るも、能く其の物を轉ずるの手段なり」とある。意馬心猿という成語もあるとおり、要するに無心になって相手に同化すれば、必ず事は成就する、というのである。
本の名称:典座教訓・赴粥飯法
著者名:道元
発行所:講談社学術文庫
発行年:一九九一年七月十日
本コード:ISBN四-〇六-一五八九八〇-六
感動を子どもたちへ
いわき市立大野第一小学校教諭
大森宥子
少女時代の私の楽しみは、ままごと遊びと学校ごっこ。夕暮れまで遊びほうけて、しばしば母親に叱られたものだった。雨の日ともなれば、テレビのない、ある意味では幸せな時代でもあったので、よくラジオを聴いたり、母親から昔話を聞かせてもらったりするのが唯一の楽しみになっていた。
そんな折りに母から聞いたのが、上野動物園で空襲によって動物たちが逃げ出すのを防ぐため、象に餌を与えず衰弱させたという話だった。幼心にも戦争で苦しんだのは人間だけではなく、動物たちもそうであったことを知り、象がかわいそうで胸が張り裂けそうだった。負けん気の強い私は、涙をこぼすまいと奥歯をかみしめ、こらえた記憶がある。
後日、教師になった私は、初任校の図書館で本になっていた「かわいそうなぞう」に出会うこととなる。幼い頃の記憶が懐かしく心に広がり夢中でページを繰った。さすがは児童文学作家の土家氏の執筆。母の語りとは比べものにならないほど、読み手の心を揺り動かすものであった。さらに大人になっていた私の心をとらえたのが、飼育係の心。幼い頃には、象の哀れさに心が動かされていた私であったが、飼育係の心を想像すればするほど、次から次へと涙がこぼれた。そして、この感動を子供たちにもぜひ味わわせてやりたいと心に決めたものである。
それから三十年。私は何度この「かわいそうなぞう」を学級の子供たちに読み聞かせてきたことか。学校が変わり、担任する子供たちが変わっても、決まって同じ箇所へくると胸が震え、涙があふれ、「ちょっと待って。先生悲しくて読めなくなっちゃった」と、ぶざまな姿をさらけ出すことになる。涙をぬぐいながら顔を上げると、クラスの暴れん坊の目にもきらりと光るものを見つけ、うれしく思うときもたびたびあった。
この本によって学級経営が助けられたことも事実であり、私にとって手放せない本の一冊になっている。これからも教え子たちが心豊かな大人に成長してくれることを願いながら、また新しく出会う子供たちに感動を与えていきたいと思っている。七月六日、作家土家氏の詳報を知る。心からご冥福を祈りたい。
本の名称:かわいそうなぞう
著者名:土家由岐雄
発行所:金の星社
発行年:一九七〇年八月
本コード:ISBN四-三二三-〇〇二一一-四