教育福島0222号(1999年(H11)10月号)-025/52page
身を磨いていく努力を怠ってはならないと強く思う。二十年目に向けて、新たな気持ちでスタートを切った今年。もうすぐ始まる二十一世紀という新しい時代の中で、どんな十年を過ごし、どんな力をつけていくかは、自分自身にかかっている。
(福島市立野田中学校教諭)
「真のバリア・フリーを」
「(知的障害を持つ我が子)光が音楽を創るとき、私は文を作るのをやめてはならないと思う」と語る大江健三郎の作品には、空間にいのちを透かし見せるような、創作を超えた魂の響きがある。
昨今バリア・フリーが謳われているが、私も肢体の不自由な小児麻痺の家族を持ち、共に育った経験がある。不思議なことに、障害を持つ者があまりに身近な存在であると、初めからバリアが見えないものだ。私は長らく、彼と自分の差異は性別と名前だけだ(名字は同じなので)と本気で思っていた。
世の中には、口で絵を描いたり車椅子で球技をしたりしながら、素晴らしい生きざまを貫く人が少なくない。しかし、幸か不幸か、彼は手段を駆使して不自由な部分を補おうと考えるような思考の深さを持つことさえ許されなかった。
私たちは懸命に遊んだ。車椅子で縄跳びやゴム跳びをする方法を真剣に考えた。日曜日の小学校に車椅子を押して行き、誰もいない校庭でこっそり運動会を開いた。庭には、一緒に作った砂の城が天に向かってそびえている。
互いの間には嘘や汚れのない穏やかな時が流れ、確かなコミュニケーションが成立した。彼は純粋な魂を磨く天才であった。私たちはいつでも、全身全霊を込めて、心の見える空間を創り続けた。人間は感情に形を与えたがるが、その術が欠如する時、心と心が直にふれあう空間だけが残される。大江氏の著書『静かな生活』の「静か」さの意味もここにあるのではないか。
現在、全国的に不登校の生徒が増加し、その数は平成四年度のおよそ二倍と言われているが、他人に対するバリアが年々深まっているように思われる。生徒たちのまだ成長しきらない脆く柔らかな部分が緊張の隙間からふと現れると、それが痛々しさや危うさとなって感じられる。その弱さを隠すためにあまりに手の込んだバリアを作り上げ、そこから出てくることができなくなる時、登校は拒否される。
バリアがもたらすものは、孤独と苦痛を伴う、「静か」でない時の流れだ。バリアを包み込み、かいま見えるいのちの空間に心を注ぎたい。健常者対肢体不自由者はもちろんのこと、生徒(個)対生徒(個)のバリア・フリーを願ってやまない。そこに本当の魂の尊重が生まれることであろう。
もう一度行きたいアドベンチャースクール
島 和宏
飯舘村では、公民館が主催する「アドベンチャースクール」という行事が昨年度より行われている。
これは、本村の六年生が海を越え北海道で様々な体験を行うという生涯学習プログラムである。アドバイザーとしてこれに参加することになった。
事前の打ち合わせで、子供たちの主体的判断を尊重するため、「教師であることを忘れて」参加するよう求められた。
北海道への旅行という意識しかないであろう子供たち、「教師であ