教育福島0223号(1999年(H11)11・12月号)-024/48page

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ことができます。

その時も、お茶を出すとき「うすいコーヒー、濃いコーヒー」を英語では何と言うのかなどと話がはずんでいました。そして、「わかる人は手を挙げて」を、英語にするとどうなるかという話題になったとき、彼の口からこんな話が飛び出しました。アメリカのクラスでは、その言葉を先生から聞くことはないだろうというのです。子供たちはみんな「クェスチョン、クェスチョン」と言って手を挙げる。つまり、「わからない人は手を挙げて」という方に近いということでした。

私は衝撃を受けました。なぜなら、教室は間違ってもいい所、間違いが大切、どうずればよいかを探る所と常にいいながら、実は、そんな子供たちに手を挙げにくくさせているのは自分自身だったのだと気づいたからです。「わかる人は手を挙げて」という言い方はどうしても、わかっていることを優先する考え方なのだと改めて思わずにはいられませんでした。

彼は、こんな話もしました。アメリカの子供たちは、「自分自身を教える」(Teach themselves)。教師は「学び方を教える」(how to know)。小学校の図書館は始業前から学校が閉まる時刻まで開いているのだそうです。

発想の違いのおもしろさ、ということだけで片付けられない粛粛とした思いが私の心をすっぽりと包みました。

(湯川村立笈川小学校教諭)




天災と人災、そして

「阿智辺幾夜宇和」(あるべきやうわ)

白岩孝一

白岩孝一

ハルマゲドンでもあるまいに、この頃、地球規模で大地震に見舞われている。トルコ西部と台湾中部の大地震である。ヒトのいたずらで地球がくしゃみをしたような趣だ。日本でも、つい先年の阪神大震災が忘れられない。

天災は、いつも人災を引き連れてやって来る。橋が落ち、高速道路はずたずた、大きなビルがバタバタと倒れた阪神大震災もそうだった。今度の台湾大地震は、さらにひどい。いくつものアルミ缶が倒壊ビルの崩れた壁から顔を覗かせている。テレビ画面に映し出された光景は、何とも醜悪である。新聞では、「開発急ぎ手抜きビル乱立」と報道していた。天災は忘れた頃にやって来るが、人災はいつも人の心に住み着いている。

「阿留辺幾夜宇和」とは、京都高山寺に掲げられていた清規(しんぎ)の冒頭の言葉であるという。これは、鎌倉期華厳宗の高僧・明恵房高弁の好んだ言葉で、貞永式目の精神的バックボーンをなすものとも言われている。この意味するところは、深いものがあるようだ。河合隼雄先生は、その著作「明恵夢を生きる」で「『あるべきようわ』は、日本人好みの『あるがままに』というのでもなく、また『あるべきように』でもない。時により事により、その時その場において『あるべきようは何か』と問いかけ、その答えを生きようとする」ものであると述べられている。何でも受け入れる母性的な「あるがままに」でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な「あるべきように」でもない。それらの中庸をなし、しかも実存的な生き方が示されているように思われる。

人災は、「みんながやっているから」、「なんとかなるさ」などと、何でもありの母性原理的な判断によってもたらされる。そして、一部の人々の目先の「カネ儲け」のために人の命がおろそかにされる。人災の背景には、厳しい父性原理も含む「あるべきようは何か」との問いかけが抜け落ちているように思える。民主社会では、厳しい父性原理も含む実存的な問いかけが必要だ。

人災の最たるものは戦争だ。ヒトがヒトを殺すことの奨励される戦争は、ヒトが勝手に引き起こし、人間はおろかこの地球上の生きとし生けるものすべてを惨禍に陥れる人災そのものだ。東チモールやコソボに見られるように、この地球上から人災がなかなかなくならない。わが日本でも「普通の国」をめざすと称して、人災の準備を進める人々の勢いが強まっている。先の大戦で、国家の指導者が「何とかなるだろう」とのいい加減な判断で満州や真珠湾を攻撃したことは、もう忘れられているのだろうか。何とも心寒いことである。沖縄を訪れた際、ひめゆり学徒の体験談を聞く機会があった。戦争の愚かさ、悲しさを伝える彼女らの営為を無駄にはしたくないものである。

天災と人災による多くの犠牲者へ合掌。

(県立喜多方工業高等学校教諭)


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