教育福島0223号(1999年(H11)11・12月号)-026/48page
した。大会当日、ウォーミングアップとして子供たちと一緒に中継所近くの神社まで走りました。神社に着いてみると去年の保護者が祭の世話人をして神社にいるではありませんか。そして、なんとその方が私に御神酒をすすめてくれたのです。
「先生、がんばってない」
私はとてもうれしく思いました。一年かかったけれど、この一言でやっと認めてもらえたかなとほっとしました。
子供の願いと親の願い。今までそれに応えようと一生懸命努力してきたつもりです。今後も常に自分の姿を振り返り、甘いところは反省しながら、目の前の子供たちのために努力していこうと思います。
(東和町立針道小学校教諭)
思い出、そして
新妻英典
中学生のときに生徒の気持ちを大切にし、温かく指導してくださった数学の先生の影響が教職を目指す動機となりました。今年で十六年目が過ぎようとしています。
大学卒業後、講師を経て採用された最初の赴任地は郡山でした。毎日学校帰りに家庭訪問をしなければならない生徒や、問題を起こしたけれど親がいないため派出所に迎えにいった生徒など、手をやかせた生徒たちがいました。しかし、放課後になると教室をきれいに掃除してくれたり、仕事を頼まなくても手伝ってくれたりする生徒もいて、その姿や整理整頓された教室に心が和まされるときもありました。楽しくもあり、苦しくもありの二年間でした。
この生徒たちを卒業させ、いわきに転勤する前日、いつも心配していたグループのリーダーだった生徒から初めて電話がありました。「先生、いわきは大変だって聞いているけど、先生なら大丈夫だから頑張ってくれよ」という励ましの言葉でした。その生徒の本当の気持ちが感じられた電話でした。どう対応したらよいか分からないながらも、妥協せず生徒と真正面から真剣に取り組んだことは、まちがっていなかったと思えた瞬間であり、私自身の仕事の原点になっている思い出です。
いわきに戻っても多様な生徒との出会いの中で、自分の指導に自信をなくし、何度か教職をやめようかと思ったこともありました。そんなときに思い出すのが、講師時代に出会い、いろいろと教えてくださった保健体育の先生の言葉です。
「なぜ教職を目指そうと思ったんだ。自分の一生をかけられる仕事はなんだと思う。その答えが自分の進む道だろう」
そう言われたときに、どきっとしたことが昨日のように思い出され、今でも私の目標とする先生の一人となっています。もちろん、それぞれの学校で出会った同僚の先生方にも大変恵まれ、助けていただいたことが現在の自分を作る基礎になっていると思います。
現在、教務の立場にあり、いろいろな場面でいろいろな課題を正面から見ることができます。そのたびに自己を省みることを忘れず、目標とするあの保健体育の先生に近づけるよう、自己研鑽への決意を新たにするこの頃です。
(いわき市立小川中学校教諭)
教え子に励まされ
鈴木克哉
ある日の放課後、面会人がいらっしゃっているというので、急いで玄関に行った。
私は、その人の顔を見て驚いてしまった。その方は、私が十年近く前に担任していたM子さんのお母さんだったのだ。
私は、懐かしさとともに、伊達郡にお住まいの方が、どうして双葉郡の学校に尋ねてこられたのか不思議に思った。
お母さんのお話を聞いているうちに、その理由がわかった。
私が、五・六年と担任したM子さんが念願かなって、某国立大学の医学部に合格したのだという。その報告と担任への感謝の気持ちを伝えにわざわざ来られたのだ。
入学通知書のコピーを見せなが