教育福島0224号(2000年(H11)1月号)-026/48page
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随想
日々の想い
ずいそう
「自分史」について
浜名美恵子
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私には、教職を退いて六年になる叔父がいる。
現在、叔父は、趣味の家庭菜園を嗜んだり、近所のお年寄りとゲートボールを楽しんだりと悠々自適な生活を堪能している。
叔父は、昭和二十八年に教職に就き、四十年間教育界に携わってきた。同職に就いた私は、良き先輩として尊敬したものだ。
さて、その叔父が「自分史」なるものを作成している。誕生から半世紀までの自分のおいたちを綴ったものだ。
昔の良き時代を忘れずに記憶したい、現在の自分があるのは、昔があるから……との理由で退職すると同時に執筆を始めた。
自分史には、自分の成長の様子は勿論、その時代の社会情勢を詳しく調べ、政治、物価、流行語等の記述もあり、当時の様子が偲ばれる。また、育ってきた環境をも大切にし、自分に関わってきた人々とのエピソードもたくさん述べられている。教え子をふくめ実に多くの人と関わってきたこと、そして、その人々との関係をとても大切にしていることが、そこから読み取れる。
成長の時期を分けて記されているが、特に「教員時代」の話には心打たれるものがある。
毎年、自分が担任している子供たちのために何をしてあげたらいいのか。自分にできることは何だろうかと日々苦悩している青年教師の姿があり、貧困で学校に通いたくても通えない子供のために家族ぐるみで世話をしている熱血教師の姿がある。それは、まさしく若き時代の叔父の姿であり、本当に一人一人の子供たちを大切にしている教師の姿が読み取れる。
私はどうなのだろう?二十年程の教師生活で子供たちに何をしてきたのだろう。私がしてあげたことは何だったのだろう。 母親が亡くなり、体の不自由な父親一人がめんどうをみていたT子。家庭訪問をし、あまりの生活の荒れに何もできずに帰ったこと。
いつも何かに怯え、おどおどしていたT男。家族の愛に飢えていた。その時、何もしてあげられず空しさだけが残っていた私。
「一生かかったって自分史は完成できないな」と言っている叔父。
私もやがて、胸を張って語れる人生を歩んでいきたいと思う。
(鹿島町立鹿島小学校教諭)
メッセージを歌に託して
星 克一
「先生……、一曲お願いします」まさか冗談だろうと思って、披露宴会場に行き、再会した教え子たちと談笑しながら自分のあいさつの番を待っていた。今日は十二年前に受け持った二人の結婚披露宴の日。中学時代の二人の姿、当時の学級を懐かしく思いながら、教師という職業を選んだことをうれ
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