教育福島0225号(2000年(H11)2・3月号)-025/52page

[検索] [目次] [PDF] [前][次]

隊の方の講演ということで、学ぶことの多かった修学旅行であったと思います。また宿舎・食事も満足できたと約九割の生徒が回答していることからも、沖縄で悪かったということはありませんでした。

ところで私も初めての沖縄ということで、この修学旅行では沖縄のいろいろなことを知ることが出来ました。特に印象に残ったことは、ガイドさんの発音がきれいな共通語だったこととその理由でした。その理由がわかったのは研修の際に乗ったタクシーの運転手さんの話からでした。この五十歳ぐらいの運転手さんが話すには、自分が小学生の頃は学校で方言を話すと「方言礼」を一日中胸に付けさせられた、ということでした。それは沖縄が日本と一体化することで後進性から脱却しようとして行った施策によるものの一端であり、また就職などで本土に住むようになったときに困らないようにということでもあったということでした。自分の世代であれば親が方言を話すので方言も共通語も話すことができるが、共通語を主に話す親を持つ若い世代は方言が話せないし、その理解すらおぼつかないとも話しておられました。この若い世代がガイドさんの世代ということだと思います。

最近の沖縄では方言を見直そうということで学校で方言を学習する時間があるそうです。この修学旅行でのガイドさんやタクシーの運転手さんの話から、沖縄の方言の歴史と文化としての方言の大切さを知ることが出来ました。

(県立坂下高等学校教諭)


「枠」を越える 

伊藤弘行

伊藤弘行

これからの教育では、「枠を越える」ということが、一つのキーワードになると思います。「教科の枠・時間の枠・学年の枠・学校の枠・既成の枠……」など、様々な「枠」がありますが、これらを越えることが、「総合」の考え方であったり、開かれた学校であったり、インターネットであったりするのだと思います。

これらの枠を越えるためには、まず、教師自身の頭の枠をはずしてみることが大切だと思います。そのために、私は「空想する」ことをお勧めします。子供の頃からの空想癖が、たまに役立つこともあります。(役に立たないことがほとんどですが)新しいことをどんどん創り出していこうとする時、たまには、非現実的・非常識的な空想にふける事も悪くないかなと考えています。日本中の全ての学校がインターネットでつながるなどということも、数十年前までは非現実的な空想だったに違いありません。

どこまで自分の思考を解放できるか挑戦してみましょう。

―空想―

二十一世紀も半ばを過ぎた頃、「教育生理学」なる学問が登場した。教育生理学というのは、これまでの医学や大脳生理学・栄養学・人間工学などの研究成果を教育という面から再構築し、現場教育に応用しようという学問である。

この学問は、教育に様々なアイディアを提供した。例えば、学習能力は、脳神経細胞のネットワークの緻密さと活性度であることが明らかになり、ネットワークを形成し、活性化する方法が次々と考案され改良が加えられていった。

空間認識を司る右脳を活性化する活動を多く取り入れた結果、立体図形の理解が飛躍的に向上し、おまけに、器械運動の技能も向上したという報告が寄せられた。その他にも、ひらめきや集中力を高めるα波音楽をBGMに使った学校の実践、生体時計を効果的に利用した日課表の工夫、脳のはたらきを高めるDHAの効果、学習意欲とドーパミンの関係など、生理学の成果が、広く教育に応用されるようになったのである。

―完―

これからも頭の枠を外して、空想の世界で遊びたいと思います。

(矢祭町立東舘小学校教諭)


「微妙な個性」

田中千裕

田中千裕

教員になって六年目を迎えた。


[検索] [目次] [PDF] [前][次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。