教育福島0225号(2000年(H11)2・3月号)-026/52page

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毎日色々な出来事があり、感じること、考えさせられることも多い。例えば、若者の没個性化ということがずいぶん前から言われているように思うが、生徒たちを見ていると確かに個性を感じることは少ない。しかし本当に彼らは全く個性がないのか疑問に思う時がある。

服装は多少の差はあれ、制服を着ていればだいたい皆同じ。女子はソックスも今や流行から定番へと変わりつつあると思われるルーズソックスで統一……etc。ところが、である。よくよく話をしてみると、一見同じようにしか見えないあのルーズソックスにもいろいろな工夫が施されているのである。例えば、夏と冬では素材や糸の編み方が違うこと(温度調節のため?)、ボリュームを出すために二足重ねてはいていること(太い方がカワイイ?)、靴のサイズはソックスの分を考慮して選ぶこと(半サイズ大きくないと入らないだろうことは明らか!)。

ここまで来ると、もっと違うことに目を向けて欲しいとつい思うのは私だけではないだろう。私自身は、決してルーズソックスに賛成しているわけでも着用を認めているわけでもないのだが、生徒は生徒なりに「微妙」な、「価性のようなもの」を発揮しているという見方もできなくはない。

「個性の尊重」「個性を伸ばす教育」と言われているが、なぜ生徒たちはもっと堂々と個性を前面に出さないのだろうか。横並びの意識が彼らの中にも色濃く影響しているのかもしれないが、個性は芯の部分を磨かなければ光らないと思う。枝葉の部分に気を取られすぎずに、幹がしっかりとしたものになるよう大切にしてもらいたい。また、何でも自分勝手に気ままにすることが個性だと間違わないよう、根本的に個性とはどのようなものであるかを知らせることも必要である。そのためには我々大人も個性について真剣に考えねばならないだろう。

「子供のすることには必ず必然性がある」経験者研修の中で耳にした言葉である。そういう目で見ると、生徒たちのすることに俄然興味がわいてくる。さて、次に彼らがどんなことをするか、悩みでもあり、楽しみでもある。

(県立磐城農業高等学校教諭)


私の宝物

齋藤洋子

齋藤洋子

「本日の初任研、よろしくお願いします」

今年度は、この声が一週間のスタートの合図となっていました。

初任者研修の指導担当者として二人の先生方と共に歩んできたこの一年は、とても実りの多い年でした。

このような中で、自分が初任者だった頃のことを思い起こしました。

今から二十年前、私は、二年生の学級担任として、教員生活をスタートすることになりました。他の三つの学級は、経験豊かな先生方の指導の下で、落ち着いた見通しのある毎日を送っていました。しかし、我が学級はといえば、常に問題を抱えて悩んでいたのです。教科の指導においても、学生時代に学んできたことを生かしきれずに、いつも肩に力が入った状態で臨んでいたようです。

そんな時、先輩の先生から、「先生は若いんだから、そのままの自分で生徒にぶつかるのが一番だよ。そして、授業中には笑顔、笑顔が大切だ」と声をかけていただいたのです。その時初めて、生徒の目に映っている自分の姿に気づいたのです。緊張感から、知らず知らずのうちに、しかつめらしい顔つきになっていた自分に……。

指導する側にゆとりがないのですから、生徒たちは、きっと窮屈な思いをしていたに違いありません。私にとって宝物のようなその一言が、私の中に自分を見つめる「もう一人の自分」を誕生させてくれたのです。

それからは、「もう一人の自分」と対話しながら、努めてゆとりを持って、過ごすよう心がけました。そのことが、自分にとってどれだけプラスになったかは、言葉で言い尽くすことはできません。

その後も、節目ごとに助言をいただき、そのおかげで現在の自分があるのだとつくづく思います。

本校に赴任し、若くエネルギッシュな二人の先生方は、そのみずみずしい感性で様々なことを吸収しています。そして、生徒と共に歩むその姿に、私のような肩ひじを張った堅さは、見えません。


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