教育福島0225号(2000年(H11)2・3月号)-028/52page

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地域や児童の実態を踏まえず、授業を進めようとした私は、子供たちから「一段こし」してしまったのである。

そこで、この地域での様子についてごみ置き場や水源探検等で調べ、その上で清掃工場や浄水場の見学をして学習を進めた。その後の学習でも、地域の工場や商店の見学等、体験的な学習の場を多くつくり、子供たち自身が見て、感じることを大事にする授業を心がけてきた。

新学習指導要領では「総合的な学習の時間」が新設され、地域や学校、児童の実態に応じて、創意工夫を生かした教育活動を行うことになった。本校でも、来年度からの実施に向けて計画を練っているところである。新しい教育活動をつくる大変さとともに、大きな可能性を感じている。ただ、計画にあたっても、実施にあたっても「一段こし」せず、地域や児童のことを十分に踏まえて進めていかなければ、と考えている。

(郡山市立大槻小学校教諭)


研修と私

神内富美子

神内富美子

「子供といっしょに過ごすために教師という道を選んだので、学級をもてない研修主任の仕事は重荷であり、その自信もありません」

それが、四年前、校長室で悲壮感をもちながら校長先生に述べた私の言葉でした。しかし、校長先生の強い意思に押し切られる形で私の研修主任としての仕事が始まりました。

現職教育の教科は、国語科、さらに三年後の県大会会場と、重荷は増すばかりでした。「副免もない私が……」という思いがぬぐいきれなくて、国語の研究会で隣り合わせた初対面の若い女性の先生に弱音をもらすと、「免許状じゃ有りません。ここまできたら、情熱ですよ」わたしは、その言葉に励まされ、すうっと胸のつかえがとれたような気がしました。

しかし、久しく国語科の研究から離れていた私は、傍らに積み上げた文献と悪戦苦闘しながら、自分の実践を越えた計画立案をしなければなりませんでした。当然指導案検討も、研究授業の事後研究会でも、研究の推進役とは程遠い頼りのない存在でした。そんな時、いろいろな先生方が支えて下さいました。自分の実践からさり気なく研究の方向性を示して下さった先生方、学年の授業について納得がいくまで真剣に話し合っていた先生方、率先して事前授業を引き受けて下さった先生方……。私は、授業研究を通し、先生方と苦楽を共に歩む喜びを味わうことができました。「求めるところに道は必ず開かれる」まさにそのことを身をもって感じました。

また研修を通して素晴らしい出会いがありました「豊かな言語感覚と心を育てるため『のはらうた』(工藤直子著)の詩を、学級を回り、紹介している」という安積一小の遠藤寿美子先生、「とにかく日本人に必要なのは、豊かな表現力なのだ」と力説された神戸大学の井上一郎先生など心に残る先生方でした。

研修という仕事を通して、研修主任ならではのやり甲斐や喜びがあることをこの四年間で学びました。今、ライフステージに応じた研修の大切さが叫ばれていますが、今の自分に何ができるかを考えながら、これからの教職の道を歩んでいきたいと思います。

(会津若松市立門田小学校教諭)


本との出会い

荒寿子

荒寿子

今、母として子供に本を読んでいるとき、ふと、幼い頃の自分の姿が重なってくることがある。読んでもらった数多くの本、何気なく話してくれた物語が、母から語られる言葉によって自分を本の中に登場させ、夢のような世界を作り上げていたあの頃。一緒に過ごす時間が待ち遠しくて、自ら本を手に母の姿を追いかけていた思い


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