教育福島0225号(2000年(H11)2・3月号)-029/52page

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出は、大人になった今でも『心のアルバム』として生きている。

最近の子供はどうであろう。心のよりどころを求める子供たちに接していると、美しいものへの感動や涙することの少なさに、寂しい思いがする。

我が子に、ある本を読んであげた。何かを感じ取った息子が、詩を書きはじめた。

心は 地球のように一つしかない
心がこわれちゃったら
友達にやさくしてあげられない
大好きなお父さんお母さんと一緒にいられない
心は とても大切なもの

この詩を読み、胸を打つものがあった。本との出会いが、確実に心を成長させている。『葉っぱのフレディ』との出会いも、息子に大きな衝撃を与えた。生とは何か、死とは何だろうと考える道標になるのではと思われる絵本を読み聞かせていると、夢中になって聞きいっている様子が伝わり、読み終わっての一言が印象的であった。「お母さん。とても悲しいね。いのちって大切なものだね」

子供を取り巻く環境の多様化と毎日のように伝えられる衝撃的な出来事に、心を痛めている人は少なくはないと思う。『心のふれあいと親子の絆』が崩れかけてはいないだろうか。

本との出会い。そして同じ時間を共に過ごすことによって生まれる安心感。

もし、子供が人生において、つまずいても、これによって生まれた絆により、親はすぐに手を差し伸べることができ、子供は素直にその手をにぎり返すことができるのではないだろうか。

本との出会いを通して心の豊かな子供への成長を願いながら、私はこれからも幼い頃読んでもらった感動を今度は我が子に伝えていきたいと思う。

(小高町立小高中学校教諭)


みんなちがってみんないい

馬場義郎

馬場義郎

私は教員になる前、アメリカに二年間ほど住んでいたことがある。太平洋岸のカナダに近いシアトルには、北欧系の白人を中心にアジアからの移民がたくさん住んでいた。そこでは、南部の町ではなかなか見ることのない白人と黒人のカップルをよく見かけた。

人種、肌の色、言葉、宗教、性別、年齢など様々なちがいを超えて一人一人が生き生きと暮らしていた。ちがいを認め合うことの大切さをシアトルで学んできた。

私が担当している「ことばとひびきの教室」には、個性的な子供たちが通ってくる。好奇心が旺盛で次々と興味が移るAくん、恥ずかしがり屋でほとんどしゃべらないBさん。人前では緊張して言葉がなかなか出てこないCくん。

一人一人ちがうけど、みんないいところを持っている。Aくんは、自分で工夫して遊ぶのがうまい。Bさんは、いつも心やさしい絵を描いてくれる。Cくんは、どじょうすくいの踊りの名人だ。

そしてこの教室には、通級している一四名の子供たちのカードが掲示してある。このカードには、一人一人の得意なことがたくさん並べてある。

Cくんは、漢字をたくさん書ける、走るのが速い、歌がうまい、ゲームが得意であるなどが書かれている。そして、昨年のクリスマスに行われたラジオ福島のチャリティ・ミュージックソンで、自分で作曲した「くまさん」(まどみちお作詞)を私のギター伴奏で堂々と歌うことができた。会場で見守っていた両親も、今までにない彼の自信に満ちあふれた姿に驚いていた。

子供たちがお互いのちがいを認め合うためには、まず、自分のよさに気づくことが大切だ。また、そのよさを発揮できるように親と教師が協力して助けていくことも必要だ。そして、一人一人のよさを認め合い、全員のよさが虹のようにきらきら輝いている学級を築いていきたい。そこは、子供たちにとっても居心地がよくて楽しい場所のはず……。

私の教室からはよく「私と小鳥と鈴と」(金子みすゞ作詞)を歌うかわいい子供たちの声が聞こえてくる。「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」

(いわき市立平第二小学校教諭)


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