教育福島0225号(2000年(H11)2・3月号)-043/52page

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心に残る一冊の本

心に残る一冊の本


絵は心

県立会津養護学校教頭

渡部好昭

渡部好昭

私は、絵を描くのが大の苦手だが、絵画を観るのは大好きだから、絵の上手な人を尊敬し、何の屈託もなさそうに絵を描く子供たちを羨ましくさえ思う。

最近、軽い気持ちで読み始めた文庫本がある。歌「上を向いて歩こう」の作詞で知られる永六輔氏のエッセイである。彼の早稲田中学時代の美術の先生で、今や世界的画家となった西村計雄(けいゆう)氏と交わしたユーモア溢れる問答を基にしたものである。大画家なのに気張らず威張らず、仙人の如き生き方の破天荒で魅力的な八十歳過ぎの恩師と六十歳半ばの教え子との、頓珍漢(とんちんかん)で桁外れな超世俗的な清談の世界に、私は引き込まれてしまった。

恩師西村氏に、教え子六輔氏が問う。「先生の絵に描いてあるこの花は何ですか?」「知らない」「自分で描いた花の名前を知らないの?」「私は花を描いてるの!花の名を描いてるわけじゃない」画家は、美しいと感じたものを表現すればそれに尽きるという。

敗戦直後の生活難時代に中学生だった六輔氏が、「育英奨学金」の手続き上、良い成績が必要な時に西村先生から百点満点を頂戴して喜んだが、実は全生徒が百点満点だったことが後で判明した。先生の理由は「皆、私より上手だから」だった。そして「ゴッホやルノアール、ミレーでも、君たち子供の素直な絵には敵(かな)わない」と言って、描くことの難しさには一言も触れなかったという。西村氏はパリで修行中、ピカソやマチス、ブラック等の巨匠達と交流があったが「絵は心だ。お前の絵にはそれがある。これからも忘れるな」とよく言われたと述懐している。

今、眼前に我が校の子供たちの描いた絵がある。西村先生は、その絵の心、そしてその絵を描いた子供たちの心、即ち人間丸ごとの尊い命の全受容を我々に問いかけているように思えてならない。

本の名称:わが師の恩
著者名:永六輔
発行所:講談社
発行年:1996年3月
本コード:ISBN4-06-263187-3


Good-by my girls' high school

県立いわき光洋高等学校教諭

渡部文恵

渡部文恵

単行本を購入するときに、タイトルと表紙はかなり大きな比重を占める。「僕はかぐや姫」はタイトル良し、フレデリック・エバンズ撮影のお酒落な表紙良しの一冊であり、さらに私が好きな高校・高校生を扱った作品だ。勝手な言い方をさせてもらえれば私にとっての”業界物”である。

この本の中には、『昼休みになり廊下をけたたましい足音が駆け抜ける。一階までパンを買いに走る生徒の疾走だ』といった時代を越えた高校生の姿と『スカートの丈を長くしているのも、決して細いとは言えない脚や膝小僧をむき出しにするのは、はしたないと思うからで……要は、人道と美意識の問題だ』なんていう、今どきの素顔を見せない超ミニスカートの天下無敵の女子高生が読んだら?の部分が共存している。

ただ、この作品は、昔、女子高生だった私たちの懐古趣味だけで終わっていない。自分のことを「僕」と呼ぶ主人公裕生(ひろみ)は、『人間として生きることさえも選択してもいないのに、女性として生きるって決めつけられて何の選択権もないなんて、とても理不尽な話だって昔思ったんじゃないかな』と語り、友人の穏香(しずか)は、『生まれたときから女性で、女性として認められるってことが入間として認められるってことじゃないのかな……』と語る。近年、大学での研究分野としてもよく耳にするようになったジェンダーに触れているのだ。

二十一世紀を迎える来年、私が卒業し、この作品の舞台となった学校も共学化される。寂しくないと言えば嘘になるが、“女子校”が死語となった頃、この作品はどう読まれるのであろうか。

本の名称:僕はがくや姫
著者名:松村栄子
発行所:福武書店
発行年:1991年5月15日
本コード:ISBN4-8288-2382-4


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