教育年報1970年(S45)-066/260page
(3)学校・学科の募集停止
学校名 課程 学科 年度 備考 安積高等学校 大槻分校 定時制 家政科 昭和46年度 農業科は募集 田島高等学校 下郷分校 〃 農業科 〃 家政科 勿来高等学校 〃 並通科 〃 夜間部
第4節 訴訟事件
昭和45年3月31日現在、当教育委員会関係の争訟事件は、
訴訟事件として裁判所に係属中のもの7件、県人事委員会
(地方労働委員会に係属中のもの1件を含む)に不利益処分
審査請求事件として係属中のもの12件、計19件で全国的にみ
ても比較的争訟事件を多くかかえている県に該当している。
昭和45年度に、新たに昭和44年11月13日の日教組によるス
ト参加者の懲戒処分審査請求事件として県人事委員会に提起、
昭和44年11月から昭和45年1月にかけて岩瀬、両沼管内の小・
中学校教員の宿日直を拒否した者の懲戒処分審査請求事件と
して県人事委員会に提起した。したがって新たに2年の争訟
事件が追加されたわけである。
そして昭和45年に特記すべきことは、昭和41年10月21日の
人事院勧告完全実施を目的として実施した半日休暇闘争に係
る1,307名の不利益処分審査請求事件の第1回公開口頭審査
を9月3日郡山市公会堂において請求者等600名参加の中で
実施したことである。いわゆるマンモス審理のはしりであり、
今後進行されるものと考えられる。
現在係争中の訴訟事件、不利益処分審査請求事件の概要及
び進行状況は下記のとおりである。
1.訴訟事件の概要及び進行状況等
(昭和46年3月31日現在)
番号 事件名 事件の概要 進行状況等 1 懲戒処分取消請求事件(福島地裁昭和34年行第2号) 昭和33年9月15日、同10月28日、同11月26日教職員に対する勤務評定実施に反対するため県下において多数の教職員が上司の許可なく職場を放棄し、そのため多数の学校において正常な運営が阻害され非常な混乱が生じた。当教育委員会としては、このような行為は地方公務貝法に違反するものとして、当時の県教員組合執行委員長加藤林外27名に対し懲戒処分を行なったが、加藤林外27名はこれを不服として、昭和34年1月20日福島地方裁判所に訴の提起をなしたものである。 争点整理のための30数回の準備手続及ぴ具体的行動に関する事実認定の証人調も終了し、現在は一せい休暇斗争は争議行為にあたるか、県下の学校の正常な運営の阻害の状況等、総論部分の立証の段階にある。今後判決までにはなお若干の年月を要する見込である。 2 懲戒処分取消請求事件(福島地裁昭和36年行第9号) 昭和34年7月29日県立会津工業高等学校において県教育委員会主催の中学校の技術家庭研究協議会が開催された際、当時県教組両沼支部書記長白岩正吉外約30名が会場に侵入し妨害した。…(イ) 争点整理のための20数回の準備手続及び県教育委員会側の証人調が終了した段階である。昭和44年5月から原告側申請の証人調が行なわれるが、事件の内容が四つにわかれ原告数、申請証人数を併せ約200人に及ぶため、今後判決までには相当の年月を要する見込である。 昭和34年8月13日から16日までの3日間、上記白岩正吉外7名が8月14日から16日まで開催された県教育委員会主催の昭和34年度小学校教育課程研究協議会にっいて話し合いを求め、そのまま数度にわたる退去要請にかかわらず、県教委両沼出張所会議室にすわりこみ、同出張所の正常な運営を阻害した。…(ロ) 昭和34年10月6日から9日までの間、飯坂町で開催された東北北海道地区中学校教育課程研究協議会を阻止するため、県教組の指令のもとに県下教職員(他労組、他県教組のものを含む)約300余名が動員され妨害行動に参加した。また一部教職員はこの妨害行動に参加するため上司の許可なく無断で職場を離脱した。…(ハ) 昭和34年9月8日、同11月27日、同12月10日の3回にわたり、勤務評定反対のための措置要求と称し、県下において多数の教職員が職場を離脱し、そのため多くの学校において正常な運営が阻害された。…(二) 上述(イ)(ロ)(ハ)(二)の四つの行為は全体の奉仕者たる教育公務員としての服務に違反するものであるとして、昭和34年12月末当時県教組両沼支部書記長白岩正吉外52名に対し懲戒処分を行なったが、白岩正吉外52名はこれを不服として昭和36年12月25日福島地方裁裁所に訴の提起をなしたものである。 3 懲戒処分無効確認等請求事件(福島地裁昭和37年行第6号) 昭和36年10月26日全国中学校一せい労力調査に際して大沼郡会津高田町立高田中学校において、一部白紙答案提出という不祥事が発生し、学力調査に強力に反対し白紙答案提出に影響を与えたと考えられる当時の高由中学校教諭小川昭二外7名に対し、教育公務員としての服務義務に違反するものとして懲戒処分を行なったが、小川昭二外7名は、これを不服として昭和37年7月19日福島地方裁判所に懲戒処分無効確認の訴を提起したものである。 争点整理のための約20回の準備手続、事実認定のための県教育委員会側、原告ら側の証人調がすべて終了したところ、原告は弁論再開、原告の証入調が行なわれるが昭和45年度内に判決言渡があると思われる。