研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-116/170page
などにのぼる時には,村々にあった行屋で水ごりをとり心身を清めた。葉山祭りの特色は夜ゴモリであり,水を浴び火ツルギを行い,心身をきよめて,夜を通して神まつりをすることにあった。ことに祭りの中心となるハヤマの神をおろしてノリワラに付け,作の豊凶を神託によって知るという古い祭りの形態は,福島市金沢の羽山ごもりと相馬郡飯館村大倉の葉山ごもりなどにわずかに名残をとどめている。いずれにしても第二次世界大戦後,葉山信仰は急激に衰退した。(『福島大百科事典』福島民報社 P764)
資料3) 金沢の羽山ごもり
なかでも厳格で,古風な姿をかたくななまでに伝えているのは,福島市松川町金沢の「羽山ごもり」(重要無形民俗文化財)である。金沢地区は宮人の落人によって開拓されたといい,この祭りは保安二年(1121)に,近くの阿武隈川沿岸にすむ大蛇を,黒沼神社にこもって託宣を得て退治したことを起源としている。
旧暦11月16日の夕刻,黒沼神社の氏子男子は,わずかな身のまわりの品と米と「おそふき」を持って境内のこもり屋に集まり,まず神明井戸で水垢離をとる。18日の朝まで朝夕二回,このよろにして身を清めるが,厳冬の水が肌に食い込む冷たさは,とうてい筆の及ぶところではない。ヤワラといっている食事をすませると,まわし一つに黒帯となって田遊びとなる。まず一人が大太鼓を連打しながら炉のまわりをかけめぐる。雷の襲来という。
すぐつづいて,雨が降ってきたといっては,ひしゃくで水をまき散らす。やがて代かきが始まる。激しく足を踏みならして炉のまわりをかけめぐっては二手に分かれ,それぞれ一人を馬に見立ててかつぎ上げ,押し合いとなる。次は苗打ちである。適当な相手をつかまえては神前に打ち出す。いよいよ田植えとなり,一同が神前を向いて田植歌を唱和する。とどこおりなく田植えもすむと早苗振り祝いがあり,やがて寒さひとしおの夜にもかかわらず,夜具も用いず炉の回りで仮眠する。
17日は朝夕二回のヤワラで,拝礼と翌日のお山がけの準備をする。
18日は午前2時ごる起床し,ひときわ丁寧に水垢離をとって準備にかかる。お山がけの出発は託宣によって決めるが,3時か4時になる。まず,お光ぼくやぼんでんの一番お山が出る。少しおくれて灯明台,御神体の幣束,先達.のりわらなどの二番お山が出る。さらに一般参籠者の三番お山がつづく。山頂では修祓や祝詞奏上の後,先達の介添えでのりわらに神を降ろし,託宣となる。神託は次の年の村内のようす,各種の作物,天候,災難にまで及ぶ。このあと個人的な事柄について聞く者もいる。純白の雪におおわれた山頂で,無心に神託に聞きいる姿は,まさに悠遠な古代人そのものの姿である。日の出前に一同下山し,山頂は清められて次の年まで何人もたち入ることは許されない。(『福島県の歴史と風土』創士社 P418〜419)