研究資料分類基準G2-04高等学校社会科「現代社会」の研究-115/170page

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資料1) 節日・休日と行事食

季節の神まつりの日を,セチというところが多い。セチは節で,もとは折目という言葉をあてていた。節日に供えものをするので,節供ともいう。もの日という言葉も使われていたが,物忌のモノからきたのであろう。おついたちとか,おようかと,おのつく日は,元来は神まつりの日であった。
県南から会津地方にかけて,神事という言葉が,村の農休みをさしている。もともとは,神まつりの日が,農事を休む日であることを示したものであろう。
どの節日でも,まずふだんの日と変ったものをつくり,神に供え,家人も食べるのがしきたりであった。古くは神と人と食物を共にし,その恩恵にあずかろうとした。だからまず,節日の記述は,神饌のことからはじまる。おふかし,小豆飯,餅,団子などは,神事に欠くべからざるものであった。祭りに白飯を食べることさえ,ハレがましい喜びであった。
村のハレの日の食物をみると,何々餅,何々団子と称して,年に何回となく作られる。来客や講事にも餅を搗く。地神団子,彼岸団子,小豆団子,鼻糞団子など供物は団子の方が多いかもしれない。料理も作られるが,それぞれの郷土的色彩が濃いものが多い。いわき市の露びら,坂下町などのザクザク煮,月舘町その他の煮がし,若松附近の煮肴などは,いずれも,豆腐,里芋,蒟蒻,大根,椎茸等を煮染風に煮たもので,汁を多くして,半分吸物のごとく,熱いうちに食べる。
会津地方では,粳米を渇いたシンゴロウやバンダイ餅も,行事の日につくられることが多い。ジエンビンは小豆汁に餅や菜を入れたもので,会津でもいわき市でもつくられる。
こがし,とろろ,寒ネリボウ(蕎麦かき)などは,特に一年の定まった日に食べる事がある。南会津で初午に食べるツムズカリは,茨城地方の食習とも共通している。正月肴の塩鮭も,「赤トトと白飯」といって,欠かす事ができない。

(『ふくしまの年中行事』山本明著 福島中央テレビ P12〜13)

資料2) 葉山信仰

民間信仰の一つ。福島県下の葉山信仰は,阿武隈山系を中心として多く見られるが,会津地方にも少なくない。羽山,麓山,葉山などいろいろに書くが,奥山に対して端の里近い山をいう。人が死ねば肉体は滅びても,その霊は祖霊として不滅な一種の生命体となって蘇生復活し,高い山に上って住み,山上から麓の子孫の生活を見ていてくれると信じられた。そこがハヤマであり,その神がハヤマの神であり国つ神であった。このわが国固有の信仰は,はやく『古事記」にも見られるところである。子孫の生活の中でもとくに大事なのは稲作であったから,祖霊なるハヤマの神は,春4月8日ごろ田の神となって田に降りて農耕を助け,秋収穫がすむと家族と新穀を共食して,10月8日ごろ再び山に戻って休むと信じられた。山の神と田の神の交代という地方もあるが,別々の神ではなくて同じ祖霊の持つ機能の両面だと思われる。ゆえに葉山のある所は多くは田の見える端の山である。もっとも祖霊の住む山は葉山の名を持つ山とは限らず,山形,秋田県のモリノヤマなどは葉山に相当する山である。地方の葉山はとくに修験道の影響がつよく,江戸時代以降は農耕信仰として山形県の葉山,湯殿,羽黒山などとともに農村の信仰を集めていた。葉山の本地仏は多く薬師である。おそらく古い祖霊信仰が薬師信仰と結んで山に栄え,後に五穀豊穣を主とするようになって農村に移ってひろまったものであろう。葉山や湯殿山


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