-野外観察の手びき-中通り・会津の地層と川原-012/231page

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けました。山脈は更に高さを増し山脈らしくなるころ,山脈の西の海はますます西方に退き,出羽丘陵や越後山脈の一部も陸地となり始めていました。また,火山活動はなお続いておりました。

 約600万年前の鮮新世の初め,奥羽山脈は現在ほど高くはなかったと思われますが,しかし,東に阿武隈山地,中央に奥羽山脈,西に越後山脈が,そして,その間に低地帯という現在に近い地形環境の骨組ができていました。

 奥羽山脈や越後山地はその後も隆起を続け高さを増す一方,現在の盆地の南部と北部に隆起帯ができ,それらにはさまれたくぼみ地には,その周辺から運ばれた土砂がたい積していきました。当時のくぼみ地で,はじめのころはまだ海と連なっていたことをしめす,瀬海性の化石を産するところもありましたが,隆起が進むにつれて海は退き始め,低湿地・潟湖・はんらん原といった組み合わせの地形が現れました。

 こうした時期に,会津盆地の南部山地,猪苗代の南部山地,白河付近を中心に,火山活動がはじまり,石英安山岩質の白っぽい火山灰が,陸化した山地に降りつもりました。所によっては熱風をともなって,火山の斜面を走り下り溶結凝灰岩となりました。

6、盤梯山や吾妻山のできたころ(200万年前〜)

 第四紀の特徴として,人類の出現と氷河期(ギュンツ,ミンデル,リス,ウルム)があげられます。氷期には地球上の水が陸上に氷河として固定されるので,その分海水が減り,海面は低下します。日本での海面変化は約100万年前から2万年前までの間,小さな変動をはさみながら,大きく見ると一方的に低下し,海水面は現在より130mほど下り,大陸棚と呼ばれている部分も陸化してしまいました。
盤梯山や吾妻山のできたころ


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