第2回全国研究集会報告書-051/60page
集団のことで,この講をうまく機能させるには,友情・互恵・信義・礼儀・規範の五つが大切であって,個に望まれる美点としては,動静・品性・言語・態度の四つがあるというのです。この五講四美の視点・尺度は,今日の学級経営にも使えるのではないでしょうか。
第5は「学校教育における基礎基本を吟味する」ことです。昭和62年度教課審答申では,学校教育は完成教育ではないとの前提において,生涯学習の基礎を培うこと・思考力・判断力・表現力などの能力の育成を学校教育の基本に据えることを打ち出しております。私は,基礎基本とは何かといった論議には,もう終止符を打つべきではないかと思っております。基礎基本はそれぞれの学校が学習指導要領と教科書を研究して選び出せばよいと思います。いま必要なことは,基礎基本の学びを促し推し進め達成させる「はたらき」として,どうとらえるかということではないでしょうか。日本には『学即問・問即生』というよい言葉があります。学ぶということは問い続けるということであり,問い続けることは生きるということの証左である,という意味なのですが,学校教育は生涯学習の基礎を培うという立場で,子ども達がそれぞれに,自己の生涯を通じて学び続け問い続ける意欲を育て,学ぶ手立てが講じられる力をつけることが大切なのです。教課審答申が「自ら学ぶ目標を定め,何をどのように学ぶかという主体的な学習の仕方を身につけさせるように」としている点を,実践の場において具現化することが大事なのではないでしょうか。
ランゲフェルドは,『教育の人間学的考察』のなかで,「教育は,子どもの発達変化を助長するいとなみである」と述べておりますが,学校教育の目的は,子ども個々の発達に根ざしながら,その人間的な自立を助けることにある,と思います。子ども達がそれぞれに“自分の峰”を築けるように,その裾野を拓き広げてやることが大切なのです。
第6は「教育指導における評価のあり方を吟味する」ことです。評価は本来,教育指導の改善に資する情報を得るためのものなのですから,入手しようとする情報の量・質によって,自づとその方法・用途は限定されることになります。数学者で『水道方式』の提唱者として知られる遠山啓は,生前「教師の点眼鏡をはずせ」と強調したのですが,このことに私も賛成なんです。ペーパーテストをやめる必要はありませんが,それだけが唯一の評価の方法となって,点数だけの格付け,序列化が行われることを警戒しなければなりません。いま学校で行われている評価は,とかく短所欠点に目を向けがちで,減点法が主流となっているように思われます。なぜ長所美点に目を注がないのでしょうか。創意を生かした加点法がなされないのでしょうか。私は,子どもたちの意欲の減退,自信の喪失,無力感の助長につながるような,拍車をかけるような評価は避けるべきだと思いますし,評価の際にこそ個性を認め生かす配慮が必要だと思っております。
この頃,塾と学校のことが頻りに話題になってますが,私は,社会の風潮・現実からみて,学校と塾は並存してよいと思っております。ただ塾が学校のようになることは困るし,学校が塾のようになっても困ると思うのです。塾の役割は,どこそこの学校の試験に合格したい,ソロバン何級になりたい,といった至近距離にある対象にかかわる欲求を満足させなけれはならない。この明確な目標を達成し,子どもに成就のよろこびをもたらすために,最善の措置を講じ最大の努力を払わなければならないのです。日本社会の学歴偏重とそれによって生じている熾烈な受験競争があるかぎり,塾の存在を認めないわけにはいかないのです。臨教審答申は,「人間の評価が形式的な学歴に偏っている状況を改め,……多元的に人間が評価されるよう,人々の意識を社会的に形成していく