研究紀要27号 児童・生徒の学習能力の発達 - 056/082page
4.指導と反省
◎教える立場から考えさせる立場へ
私たちは,教える内容が多いとか,指導時間の不足とか,能力差の大きすぎなどの理由から,教師の説明が多くなり,児童の思考場面をとりあげやすい。ともかく正しい答えをだせるようにすることが,最低必要なことだと受けとめて,覚えさせてばかりいたり,一方的に解き方のみを教えたりすることにより,子どもを常に受身にさせる。結果として,ゆっくり考えさせることが少なく,教えこまれる形が一般化する。児童もただ答えをだせばいいというような方向にいきつつあるのではないだろうか。
そこで今回は,教師の説明をおさえ,考える時間を十分に確保した指導を計画し実施してみた。ここでは,学級の雰囲気が「考える子ども」を育てる最も重要な基本条件であることの理解で,三年間指導した結果が,いきてはたらくようにつとめた。指導の観点は「自分から発言」「注意して聞く」「まちがえた答えをしても,笑われたりしないか」であった。
授業では,まちがいをおかしている子どもの答をとりあげて,なぜまちがえたかを他の子どもに説明させるような場面も多くとりあげていくよう心がけてきた。特に今回のように,計算の場合などは他の領域と比較して,まちがいの原因を発見し易いし同じようなまちがいをしている子どもたちに納得させられることが多く効果的であったと考えている。また,たとえ,まちがっていたとしても,本人には,まちがったという意識をもたせないようにし(まちがったという意識をもたせるとそれからの学習に悪影響を及ぼす)決して,誤っているものと,正しいものとに分類しないよう心がけている。たとえ,誤りであったとしても,どこの時点から,まちがってきたか明らかにするようにし,その時点までフィードバックさせ,前の見通しがつくよう導いてきた。
◎単発学習から多面的な考えへ
発問については第2時限での混乱から,特に反省させられた。一般的に考えても,授業は発問によってはじまり,発問のいかんによっては,同じ指導内容の取扱いでも,授業の様相は千差万別になる。同じ児童に対し授業の繰り返しはきかないことから考えても導入における発問は重要である。教師の発問は,学習者の思考活動に点火するような働きをしなければならないのに,ややもすれば,求答一遍の発問になり易い。結果として,子どもたちが,「算数では計算して答えをだせばよい」というような傾向になり易いのを警戒したいのである。
授業全体としては,全般的に比較的能力の低いC9等の発言が中心となって展開されやすいので,指導内容とのかみ合わせに苦労させられた。特にまとめの段階では,明確にまとめることがむずかしいこともあり,ややもすると,算法などを自分たちでさがそうという意欲が強く,自分でみつけたものに固執するような面もある。また,じっくり考えさせることを大きな目標にしたわけであるが一時限の授業に関する限り,全員にじっくり考えさせることは容易なことではない。わずか4,5分の間に,数々の学習活動が計画されている。その中で20人の子どもが一斉に思考する。すばやく考えをめぐらす子どもがいるかと思えば,一方まわり道をしたり,つきあったりしながら,じっくり確め,考えを進める子もいる。一人一人の思考速度にあわせて,考えさせる時間をとるためには,45分というのは,あまりにも短い。ある問題について,遅い子がようやくその問題の意味がつかめたころに,他の速い子は,ある結果に達している。このような場面は,毎日の授業の中でも,めずらしいことではない。単なる小手先のテクニクや,その場しのぎで切りぬけたとしても,誰かがその犠牲になっていたのではないかという不安も残る。
◎学習者からの問題化
(小数×1位の整数)の演算方法を考えている途中に「これが小数×2位数だったら」というように児童から問題化されたときでも,それはこの次にしますなどとカットし,乗法に対する考察を半