研究紀要第29号 学習指導に関する研究 - 114/118page
技術者育成の必要性・緊急性をたびたびうたってきており,これらをうけて文部省に設けられた「情報処理教育に関する会議」は昭和44年7月に「情報処理教育振興に関する当面の施策(中間報告)」を発表して以来,いくつかの報告書を発表しており,また高等学校における情報処理教育については,文部省の「理科教育及び産業教育審議会」いわゆる理産審は,昭和44年12月に「高等学校における情報処理教育の推進について(建議)」を文部大臣に建議し,これにもとづき学習指導要領の改訂が行なわれ昭和48年度より本格的にふみ出して現在に至った。
しかしながら,いま展開されているわが国の情報処理教育についての多くの無理解や誤解が存在し,流布されているといえる。とかく問題なのは,コンピュータ技術者とくに低次元のコンピュータ・プログラマを養成することが情報処理教育であるという近視眼的便宜主義的な見解があり,このような誤った理解がかなり広く受け入れられていることである。このような見解の導くところは,情報処理教育=プログラム言語教育という理解であり,こうした無理解,誤解がわが国の情報処理教育の正しい発展を大きく拒んでいるといえよう。
この際もっとも重要なことは,情報処理教育の必要性を正しくは握し,そのあり方を展望しなければならない。
まず第1は,情報処理教育の必要性を一般的基礎的知識という側面からとりあげることである。
情報処理教育の必要性は,情報処理技術者の養成とその社会的需要への充足という点からのみでなく,コンピュータとそれを利用した情報処理技術の発達と各分野への広い普及,ならびに情報化社会の急速な進展とにより,コンピュータとそれを利用した情報処理についての一般的知識は,すでに国民すべてにとっての日常的な一般的基礎的知識とならなければならなくなってきているという事実である。生産,流通,金融等の企業活動においてはもちろん,中央官庁,地方公共団体等の行政活動,教育・医療・芸術・文化さらに,われわれの家庭における日常消費活動にも,コンピュータを利用した情報処理活動は非常な勢いで浸透してきており,その傾向はさらにいっそう強まってきている。いまやコンヒピュータとそれを利用した情報処理は,あらゆる人間生活の基礎的手段の一つとなってきている。今後の社会生活の各分野においては,コンピュータを利用しての情報処理は,いよいよ普及するとともに,その利用の仕方も,現在よりはるかに容易になり,簡便になっていくものと思われるが,そこで必要とされる知識は,情報処理についての専門的知識であるよりはそれについての一般的基礎的知識であろう。このような側面からみた情報処理教育の必要性は今後ますます増してくるであろう。
さらにこのような視点からの情報処理教育は,単なるコンピュータの利用知識という面からだけでなく,情報化社会を主体的に生きることができる人間の育成という見地から行われなければならない。
今後の情報化社会において,はんらん状態にある各分野の情報のなかから,各分野の活動のためにいかにして必要な情報を選択し,これを適切に処理し,これを利用し役立てていくかの知識や技術が必要なものとなっていくと考えられるし,そのような知識や技術なくしては,各分野の生活を主体的かつ有効に果たしていくことはできなくなってくる。
このような点から考えてみると現在のわが国の教育体系やその内容は基本的に再検討されなければならないであろう。
つぎに,情報処理教育が必要とされてきていることの第2の点は,情報処理技術は,現在でも,単に情報処理の専門技術者にとってのみ必要な技術ではなく,行政機関や企業の経営者,管理者,一般事務職員さらに教員や芸術家等が,それぞれの仕事を行なっていくための基本的な技術の一つになってきており,この傾向はますます急速に強くなってこようとしている。事務や業務の各レベルや各分野では,好むと好まざるとにかかわらず多かれ少なかれ,コンピュータを利用した情報処理を基礎にしたものに再編成され転換されていくであろうし,生産や流通や金融や通信やマス・コ