研究紀要32号 教師の教育相談的態度の実態調査とその考察 - 000_02/020page

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ま   え   が   き

 現在ほど,個人の意志が自由に表現できる時代は,かつてあっただろうか。この問いに対しては,即座に否と答えざるをえない。しかし,いったん目を教育界に向けた場合,児童・生徒は教師に対し本当に自由に自己の意志を表現しているか,教師は彼等の意志を,感情を,真底から理解しようと努力しているかはまことに疑がわしいものがある。それは,現実には,教師と児童・生徒の断絶とか,対話の不足などの現象となって,時に認められることも事実である。

 わたくしたち人間は,日常生活において,たえず「言葉」という道具を用いて意志を表示し,感情を表現し,価値判断をし,あるいは,人に依頼したり,命令したり,注意したりしている。このように「言葉」はコミュニケーションにおいて,欠くことのできない媒体であると同時に,「言葉は事実そのものを示すものではない」という認識も必要である。

 ある人は「言葉は事実ではない。すなわち,地図が現地でないのと同じである」といっている。「言葉」を考えた場合,その表現にしても,相手に伝えたい内容や実態をでき得る限り正確にあらわすように努力したものもあるし,一方,はなはだ不正確なものもある。また,使い方に問題があったり,とらえる側に問題がある場合も,非常に多い。

 このように考えてみると,学校教育相談の実際の場面において,比較的見落されがちであった,「言葉」を用いての相互理解の大切さが,ここにクローズ・アップされてくる。すなわち,教育相談の場においての「言葉」は,感情を伴なう,情感を表出する手段としての言葉としてとらえられなければならなくなる。相手のことばを,相手の使っている意味で受けとめ,心情を理解してやってこそ,真の相談が成立するからである。

 以上のような意味あいから,今回,福島県下の教育実践の場において,どのように教育相談機能が生かされているのか,あるいは,相談場面では教師はどのような意識や態度で子供たちの話を聞いているのだろうかなどを調査し,分折と考察を試みた。本研究を通して,生徒指導や教育相談で最も大切なものと言われる"共感的理解"の何たるかを理解される手掛りとされれば大変にありがたい。 末尾ではあるが,本研究を進めるにあたって,調査にご協力をいただきました諸先生方,ならびに学生諸君に,心から感謝を申しあげる。

 なお,本研究が多少なりとも今後の教育相談の向上のため役立つことを願うとともに,教育実践の中で十分にご活用をいただいた上での,きたんのないご批判をお願いする次第である。

 昭和53年3月

福島県教育センター所長 山 内 正 彌


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