研究紀要第50号 「学校経営改善に関する研究 第2年次」 -016/071pagepage
善を図る一連の流れである。授業というのは,子どもと教師と教材の三者の関係によって成立する。教師のなしうることは,したがってPDSの発想に立った指導案づくりなのである」(注8)
牧氏がいう指導計画は,授業案であり,授業のための指導案であるかもしれないが,これを「指導計画は,学校で編成された教育課程に基づいて,各教科等について,各学年ごとに,指導目標・指導内容の指導の順序・方法・使用教材・時間等を定め,指導活動が発展的,系統的にすすめられるようにした具体的な教育計画である」(注9)とするならば,教育課程の編成における教育計画そのものであるといえよう。したがって,教育課程経営においても,当然,このPDSの発想に立った評価の考え方がなされなければならないであろう。
教育課程は学校教育の目的や目標を達成するために総合的に組織した教育計画であるといわれるが,単的には,『教育課程=教育,課程の編成=教育計画』であるとする受けとめ方が一般的である。教育課程の経営をめぐる間題点,つまり,教育課程の部分的・断片的な把握や,マネージメント・サイクルにおける断絶という問題も,もとをさぐれば,このような教育課程そのものの狭いとらえ方や固定的なとらえ方に起因するものであろう。教育課程を編成するということは,単なる教育計画を作成することだけでなく,牧氏が論述しているように,編成(P)の過程で,いかに実施(D)・評価(S)を考え,それを教育計画に具体的にあらわすかということになるのである。つまり,目標達成のための実践を志向し,その実践にどの程度の効果を期待するかの評価を,すでに編成・計画の過程で予測し,それを教育計画に具体的にもりこむことである。そのような教育計画が作成されたとき,はじめて,真の意味の教育課程の編成が行われたと考えるべきであろう。換言すれば,真の意味の教育課程は,編成過程(P)において,実施(D)・評価(S)が予測され,計画の中に具体的に組み込まれていることであり,編成過程(P)には,常に実施(D)・評価(S)が内包されていることになる。このように教育課程を経営的な発想から再確認したとき,教育課程のPDSは,Pの過程でもD・Sの活動が予測され,Dの過程でもP・Sが含まれ,Sの過程でもP・Dが志向されているということになるであろう。
この考えをさらに教育課程の評価過程(S)に適応して推論していけば,編成過程(P)において評価活動を配慮しなければ,評価の実際はその効果を発揮されないと同じように,評価過程(S)において,教育課程の改善・充実を見通して評価活動が行われないかぎり,次年度教育課程編成は適正なものに更新されず,経営的発想に基づく評価(S)になり得ないであろう。これは,実施過程(D)でも同じであり,編成した教育.課程が,どのように実施され,どのようを効果をあげ得たかを確かめるためには,評価過程であらためて行われるだけでなく,実施過程においても,常時行われてこそ,評価の実効が期待されるのである。
このように,経営的発想に基づく教育課程評価は,編成過程(P)で予測し,実施過程(D)でその都度常時行われ,資料として累積され,評価過程(S)で診断・評価されてこそ,はじめて,その実効が発揮されるものといえよう。
第1年次の研究において,教育課程経営の機能を,教育課程を単なる教育目標実現のための計画としてのみとらえず,それが効果的に展開されるよう,日々の授業や教育活動をコントロールし,その実効が発揮されるはたらきととらえたが,教育課程評価も,このような経営的機能によって,その実効が発揮されるものである。編成(P)と実施(D)の有効性・適切性の確かめよって,指導計画・指導方法の改善を図る一連の流れの中で行われるはたらきであると受けとめることが当然であると考えられる。
この項においては,教育課程経営に即した教育課程評価の考え方を述べてきたが,次の項では,その考えに立った場合の本研究における教