研究紀要第63号 「教育課程の実施に関する研究」 -004/093page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 しかし,現実には,○年生になったのに,○○もできない」などという例が数多く見られるのである。こうしたことが積み重なっていけば,やがて,いわゆる「落ちこぼれ」というような事態に陥り,学習に対する興味を失うことにもつながるのである。
 確かに,児童の学習の速度や理解力には,少なからず差があるのが現実である。そのため,通りいっペんの指導だけでは,基礎的な知識・理解や技能が身につかないままになってしまう者が出るのは当然である。
 そこで,学習の途中で児童が基礎的な知識・理解,技能に関する目標を達成しているか否かを評価し,未達成の目標については,適切な手だてをほどこし,すべての児童にそれらの目標を達成させようとするのが「完全習得学習」の考え方である。

(2)個人的な社会認弛の育成
 人が社会事象を認識するという場合,その認識の仕方は決して一様ではない。社会認識をする主体である人間は,認識の対象である社会の一員なのであり,その中でそれぞれ異なった立場に立っているからである。
 たとえば,極端な例になるが,田植え,稲刈りなどの農作業の経験が豊富な人と,水田を見たこともない人とでは,稲作農業というものを全く同じように認識することはあり得ないはずである。
 このことについて中野重人氏は,次のように述べている。
 社会がわかるというとき,それは厳密にはその人なりにわかるということを意味する。すなわち,立場のない社会認識などあり得ないのである。社会認識は,立場を前提としてはじめて可能なのである。このことは自然認識に対して,社会認識の特性としてよく指摘されるところである。
中野重人「個を生かす社会科の指導と評価」  (「指導と評価」vol.31No.4所収)

 つまり,社会事象に対する認識は,極めて個性的なものであり,一般的,抽象的な社会認識などはありえないのである。 社会科においては,こうした社会認識の特性に着目して,一人一人の個性的な感じ方,考え方を大事にしながら,個性的な社会認識を育成することが極めて大切なのである。

 以上 社会科において「一人一人を育てる」ことには,基礎的事項の完全習得と個性的な社会認識の育成という二つの意味があることを明らかにしてきた。この両者は,一見矛盾しているように見える。一方は,学習成果の個人差を少なくすることを指向し,もう一方は,むしろ個人間のちがいを強調しているからである。
 しかし,これは,矛盾ではない。「完全習得学習」は,基礎的事項に関して学習成果の個人差を少なくしようという立場であるのに対し,「個性的な社会認識の育成」というのは,基礎的事項を含めて,社会認識を育てる際に,個人ごとの個性を尊重しようとする立場である。従って,この両者を統一的にとらえることによって,はじめて基礎的学力のしっかりとした,しかも主体的に社会事象を追究することができる人間を育成できると考える。社会科において,「一人一人を育てる」というのは,まさにこのようなことを指すのである。

3.小学元の目標及びその分析
 この研究で取り上げる小単元「自動車工業のさかんな都市」は,単元「わたしたちの生活と日本の工業」の一部をなすものである。
 小学校学習指導要領は,この単元に対応する内容を次のように示している。
 我が国の工業について,工業地帯の分布の特色を理解するとともに,工業の盛んな地域の具体的事例を取り上げ 人々が土地や交通の条件を生かしながら新しい技術の開発,資


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県教育センターに帰属します。