研究紀要第63号 「教育課程の実施に関する研究」 -045/093page
れているものである。」―文部省小学校道徳教育の実践と考察4―(傍点筆者)と述べられているように,資料によって得た他者理解の段階から自分自身の生活に直結した自己理解へと道徳的価値を広めたり,深めたりすることが価値の一般化であるといえる。
また,「〜ひとりひとりの児童が, 道徳的価値を自己の自覚として主体的に把握 し,現在及び将来出会うであろう様々な場面,状況においても,価値を実現させるために最も適切な行為を選択し実践することが可能となる内面的資質〜」―文部省小学校道徳指導上の諸問題―と述べてあるように,いわゆる道徳的実践力へと結び付けることであるともいえる。
本時の指導では,「私たちにも,赤鬼や青鬼のような心があるのだろうか。」という問いかけから価値の一般化を図ることにした。
すなわち,友人である赤鬼のために,自己を犠牲にした青鬼の行為そのものは実行できないとしても,その行為の原動力になっている心に目を向けさせることによって,児童一人一人に青鬼や赤鬼のような心をだれもが持っているのだということを自覚させ得ると考えたからである。
従って,「腹が痛い友人を保健室へ連れて行く」とか,導入時に出された親切など,やや低い次元とし,「そのようなことならやったことがある」「これからもできそうだ」という自覚をさせ,親切や友情を大事にしていこうという実践意欲への高まりを目指したのである。
さらに,「友達にはどんな心が大事だろうか。」と問いかけることで深まりを考えたが,児童から「やさしい心」「親切な心」「助け合う心」「仲よくする心」「温かい心」など予想以上の反応があった。
しかし,必ずしも満足したわけではない。学級担任であれば意図的な指名などによって,多様な経験が引き出せ,深まりや広がりをより図ることができたのではないかと反省している。<価値の一般化の工夫>
浅川小学校1年 冨岡ケイ子教諭
−はしの上のおおかみ−(親切・同情)から
○本時のねらい
自分勝手なわがままや意地悪が,友達に迷惑をかけていることに気付かせ,友達や小さい人に親切にしようとする気持ちを育てる。
○ 生活の問題場面を絵で提示することによって価値の一般化を図った。
1 給食をこぼしてそれをふいている児童がいるのに,遊んだり,おしゃべりをしたりして一向に助けようとしないでいる友達の絵。
2 けがをした児童を上級生がおぶって,手をかけていたわっている友達の絵。
主人公であるおおかみが意地悪していた時と,熊の行為をまねて親切にした時のそれぞれの気持ちの違いなどをとらえさせた後で,上記1と2の絵を提示し,「2枚の絵は,どんなことをしている絵でしょう。また,どんな気持ちになるでしょう。」と問いかけた。児童は,自分たちの日常の様子を見せられたことから,一人一人が自分の心を見直し,自分のこととして価値を把握していった。
2の絵では,病気やけがで困っている人を助けたり,思いやるということ以外への広がりがあまり見られなかったが,2つの場面について話し合いも活発に行われ,資料のおおかみから離れる上で効果的であったと考える。
このほかにも価値の一般化を図る方法としては主人公に手紙を書くこと,資料や主人公から学んだことや考えを書くことなど,いろいろな方法が行われている。
しかし,これらの方法で児童が書いたり話したりする内容は,資料や主人公の範囲に留まりがちなので,自分のことに置き換えさせる工夫をしなければならないであろう。
また,一部に見られる「生活化」との混同をさけ,「これからどのようにしていくか」という決意表明をさせることにならないよう注意する必要がある。