研究紀要第63号 「教育課程の実施に関する研究」 -046/093page

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筑波大学教授 青木孝頼氏は,児童から直接または間接の経験が出にくい「敬けん」「愛校心=愛国心」「人類愛」などの価値をねらいとする授業では,教師の説話も工夫次第で価値の一般化の有効な方法になると述べている。また,価値の一般化を妨げないようにするための配慮事項として次の三点をあげているが,これらのことに十分配慮していかなければならないと考える。
1 導入段階の話し合いでは,中心資料の場面や条件と同じ素材を扱わない。
2 展開段階の前半では,「自分自身は,このような場合どうするか。」といった発問をできるだけ避ける。
3 終末段階では,「明日からの決意」を語らせないようにする。

(3)資料の生かし方について
 どんな資料を選び,それをどのように用いていくかによって,ねらいとする価値を児童に把握させる上で違いが生じるともいえる。
 例えば,本時のように,「泣いた赤鬼」の長い物語を資料として聞かせていく方法のほかに,副読本のような,「泣いた赤鬼」のごく短い話を資料として読ませていく方法もあるわけだが,どちらを選ぶかによって,児童の興味や関心はもとより,内面化を図ることにおいても違いが生じてくるからである。
 もちろん,資料は長い方がよいということではない。時間内で扱えるという条件を欠くことができないし,児童の発達段階などを十分考慮した上で決めていかなければならない。
 ともすると,副読本などに位置づけされているその学年でなければ資料として使用できないような錯覚に陥りやすいが,「泣いた赤鬼」の場合も中学1年生で使用し,目的を十分に達したという実践報告もある。
 このように,道徳の授業を展開するにあたっては,指導が画一的になることを避ける意味からも資料の選択と活用について十分考えていかなければならないであろう。
 特に資料の活用を図る一つの方法として,青木孝頼氏が提唱している,「活用類型」がある。
 一つの資料を多面的に分析をすることに役立てたり,ねらいに応じて使い分けをしていこうとする考えである。
 「泣いた赤鬼」を例に.その概要を述べてみる。
 1 感動資料としての活用
○ 深い感銘を与えることのできる資料を選び,指導者がその感動を特に重視して活用する。
○ 従って,次の様な発問が考えられる。
 ア.最も心を動かされたのはどこか?
 イ.自分は,なぜそこに心を動かされたのか?
 ウ.主人公のその時の気持ちはどうだったか?
 エ.このような気持ちを自分は持ったことがなかったか?
※ 自分を犠牲にして友人である赤鬼を助けた青鬼と,友人の青鬼を思いやって涙する赤鬼の行為や心情に重点をおくことになるわけで,本時の扱い方も,この類型に属すると考える。
 2 範例資料としての活用
○ 主人公などの道徳行為を一つの範例として与える意図で活用する。
○ すなわち,「主人公のように,このような時にはこのようにするのだ。」「主人公のようなことをすると,このような結果を招く恐れがある。」という構えで指導することになる。
※ 村人と赤鬼の関係,青鬼の赤鬼に対する気持ちを重点的に取り扱い,赤鬼や青鬼のように,友達は互いに信じ合いなさい,励まし合いなさい,仲よくしなさいということを強調していく。
 3 批判資料としての活用
○ 主人公の行為や考え方を批判する者と弁護する者とに分け,討論などによって道徳的な考え方を深めさせるために活用する。
○ 次の様な発問が考えられる。
 ア,主人公の行動,考え方をどう思うか?
 イ.主人公が自分たちと違って立派だと思う点は?
 ウ.それはなぜか?
※ 小学校2年生の児童では,批判はあまりしな


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