研究紀要第67号 「事例を通した教育相談の進め方に関する研究 第2年次」 -056/066page
E.暴走行為
1.経過
暴走族が最初に社会をさわがせたのは1972年の「富山事件」だといわれている。当時はサーキット族といわれていたようで,この時は100台をこす車とそれに反応した群集が自動車や付近の商店を打ちこわすなどして,さながら暴動のようであったという。
さらに,その一週間後に同じ富山市で,サーキット族が通行人を轢殺するという,わが国最初の死亡事故が発生した。
その後1978年に道路交通法の改正がなされ,「共同危険行為等の禁止(第68条)」が明確にされたが,これによっても暴走族を根絶することはできなかった。
一方学校関係者やPTAなどで,高校生のバイク事故,暴走族への参加などが問題になり,第32回全国高校PTA大会において,いわゆる「三ない運動」が特別決議されるにいたる。
本県においても,高等学校校長会等が中心になり「4プラス1ない運動」が展開されてきているが,高校生のバイク事故,暴走行為等は依然としてあとを絶たず,そればかりか中学生のバイク問題がとりざたされるようにさえなっている。。
2.暴走族の問題性
● 暴走族の第一の問題は,少年の問題であるということである。
しかも固定した暴走族メンバーは比較的少なく大部分がバイクマニアの少年で占められ活動期間が短く,常に代謝していることである。
● 第二は,単なる交通問題としては考えられず, 複合した問題行動をもつ暴力的反社会集団の特徴を持っている点である。したがって種々の法令犯として補導されている。
● 第三は,その少年たちが学校では,優越感を味わうこと,友だちや先生に注目されること,良い評価を受けることなどのできないむしろ目立たない生徒であることが多く,暴走することでそれがすべて解決されて「カッコよさ」が実現されると信じていることである。
● 第四は,グループに対する帰属感が高いこと で所属するグループのステッカーを作ったり, 制服を着用してグループ名を誇示し,あたかも特別なヒロイズムに酔っているかのようにさえみえる。
● 第五は,かなり積極的に警察に対して攻撃をしかけている点で,権威や権力に対する犠牲的な反抗であり,それをあえてする勇者であるといった革命家的悲壮感をいだいている様に見える
以上暴走族の問題性について述べたが,暴走や暴力等の行為の問題性と共に,その背景にある若者特有の心理がいちじるしくゆがんだ形をとって満足されていることに着目しなければならないと思われる。