平成7年度 研究紀要 Vol.25 個人研究1 -101/170page

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 な気持ちがあると思う。「よ」ということばは、よく「恋人よ」などと使うから。

P2 心がなごんでいる。

T それはどうして。

P2 ううん。1連と5連から。

P3 1連と5連は似ているけど、1連は悲しみを表していて、5連は「私の他に誰も知らないけれど」が付け加わっていて、「私」と「妹」がつながっているということを表していると思う。だから「私」は悲しいけれども、少し喜びはあると思う。

P4 「星の中で鳴らし始めてからまもなく/街は明るくなったのだよ」のところで、妹が死んでしまってからすぐに戦争が終わったので、「私」はとてもくやしいと思っていると思う。

P5 「あんなにいやがっていた戦争が/お前と木琴を焼いてしまった」とあるけど,それまでは「〜だよ」とか「〜ね」と語りかけている言い方だったのに,そこだけは「しまった」となっていて,完壁に言い切っている言い方だからすごい悲しみというか,ここで言葉に詰まっちゃうくらい,妹が死んでしまって悲しいと思っていると思う。

P6 「よくこう言ったね/『早く街に赤や青や黄色の電灯がつくといいな』のところで普通だったら,「よく『早く街に〜つくといいな』と言っていたね」というところなのに,反対に言っていて,反対になっているということは,「私」はこのことばが一生忘れられなくてもう心にしみちゃっているからこう言ったんだと思う。

P7 さっき,A子(P5)さんが「〜だよ」「〜よ」と言っていないところは言い切っているので,すごい悲しみがあるといったけど「〜だよ」「〜よ」と言っているところも「妹」は死んでいるんだから,陰には悲しさがあるんじゃないかな。

 1. 三つの要素を持った発言について
 三つの要素を持って発言するまでに至らない生徒もいるが,発言できる生徒が多くなってきた。発言できない生徒も,直感的には内容をつかんでいるが,「手がかりとなることば」(A)を絞り込んで端的につかむことや,そのことばの意味していること,働き,イメージなどをことばで説明することが難しいのだと思われる。
 「手がかりとなることばのとらえ方」(C)の「なぜ,そういえるのか」の生徒の発言では,その生徒なりのとらえ方が出ていた。例えば,P1の発言のように,自分の生活経験を通して考えた内容が出ていたり,P3,P5の発言のように表現の特徴をとらえ,その表現の意味づけをしたものが出ていた。また,生徒としても,Cの部分は関心が注がれる内容であった。
 P7のように,A子(P5)の発言から,自分の考えとの違いを述べ,読み取りを深めようとする発言も出ていた。

 2. ことばのとらえ方に気づくことについて
 話し合いの後,他の生徒の発言から,足りなかったことをワークシートに書き込ませた。生徒は,「手がかりとなることばのとらえ方」(C)の「なぜ,そういえるのか」の部分に書き加えたことから,ことばのとらえ方に気づいたと考える。しかし,生徒自身がその後の読み取りで,活用できるように気づかせていくには,さらに手だてを工夫していく必要がある。

 3.より多様にことばに着目していくことについて
 他の教材の読み取りのテストを事前と事後に行い,読解の基本的な内容とことばに着目する力について,変容をみた。
 本テストは,自作のテストであり,事前テストの後,正答を示さずに,事後テストでも同じものを使って調査した。
 「内容理解1.のわけ」「内容理解2.」「内容理解2.のわけ」でやや高くなり,特に,内容理解のわけをのべる力が少しついてきた。


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