研究紀要第127号 「「生きる力」を育てる学校教育の改革」 -005/074page
に生かすことができるはずである。そのためにも,次のような取り組みが求められていると思われる。
・ 指導する内容を魅力的に紹介することによって子供たちが学ぶ対象に「自分も分かりたい」「こういうことを解決できたらいいな」という思いをもって取り組むためのきっかけを与える
・ 学ぶ中で自分ができるようになってきていること(自分の変容)を理解できるように援助する
・ 個々の成果を認め合ったり讃え合ったりすることで成就感をもてるようにし,覚える学習から学びの方法を重視した学習に変えていく
(3)学校における諸活動を,社会性を育てるものに変える(人間関係をつくる力の育成)
現在の子供たちの多くは,個室を持ち,パソコンゲームに代表される一人遊びに多くの時間を費やしている。このことは先に述べた自然体験や社会体験が豊かな子供ほど道徳観や正義感が高い傾向にあるという調査結果と対比されるもので,人とかかわりを持ちたがらない子供たちの根源と考えられるものである。各学校にコンピュータが導入され情報機器の活用が本格的に始まってきている中,お互いに不干渉であることが一般化してきていることは問題である。また,算数・数学や理科等の教科でコンピュータシミュレーションによるバーチャル体験を取り入れた授業が多くなってきていて,絵や言葉による説明とは比較にならない明瞭さで子供たちの感性に訴え,理解を助けている。しかしその活動の中では個々の子供は一人学びの世界にある。それぞれの興味・関心を追究する機会は大切にされなければならないし,それによって大人顔負けの深い理解に達する者も現れてくるとは思われるが,そのことが人間関係を疎遠なものにし,社会性が育っことを疎外しないようにしなければならない。一人学びの成果はグループで紹介し合い,討議し,より完成度を高める,同じ課題を持った者でグループを組み協力して解決に当たるようにする,図書資料で十分調べられる場合はコンピュータ利用だけとせず,共同学習を取り入れる等,多様な活動形態やお互いを認め合う場を意図的に設け,社会性が育つような活動となるよう学校における諸々の活動を変えていく必要がある。
また,現在の少子化・核家族化が進み,近所付き合いもあまりないという生活の中で,子供たちは日常会話さえも思うように交わす機会も持てないでいる。中には親子間の会話さえほとんど成り立っていない家庭さえあるという。従って,各学校では学級活動や学年集会,多年齢集団による活動といった,子供たちが交わり合う機会を意図的に設定し,多様な集団活動の中で自己主張をしたり人の考えを聞き取ったりする経験を持てるようにしなければならない。特に低学年にあっては基本的な生活習慣の形成や善悪判断の基準,社会生活上のルールの理解等の指導を徹底するには教師の意図的な働き掛けが大きな効果をもたらすと考えられる。さらに,自分の人との応対が相手にどのような感情を抱かせるかといったことについても体験的に理解していくことが必要と考えられる。
4 教師の役割はどうあるべきか
「授業における教師は支援者に徹すべきである」といった声が発せられて久しい。学習指導案などでも「子供の活動を援助・支援する」といった表現が多く用いられている。しかし,学校には学校ならではの教育機能があるとされる。森昭氏はそれを次の3点として指摘する。
・ 日常生活において直接経験し難い学習保障(組織的集団生活,実験室や特別な設備が必要な学習)
・ 組織立った経験を必要とする複雑な学習保障(言語能力や運動技能などの各教科の中核的学習内容)
・ 日常経験の再検討・再解釈を必要とする事項や学校以外では関心の低い価値や理想についての学習保障
子供たちが日常生活の中で「おや?」と思ったり「不思議だな?」と感じたりすることはあっても,それを自分一人で追究の対象と捉え直すことはめったにないことである。子供が自らの気付きをきちんとした形に整え,どのような切り口から解決を図っていくかを考えるためには,課題化・調べ方・まとめ方等の知識・技能,関連する内容の押さえ方等,身に付けておかなければならないことが多くある。また,子供たちの中には物事を分析的に見たり論理的に考えたりする力がまだ身に付いていないことも少なくない。子供たちが自分の持っている力にまだ気付いていないということもあろう。その意味で,