福島県教育センター所報 創刊号(S46/1971.6) -003/012page
例のILO・ユネスコの共同提案になった「教員の地位に関する勧告」をはじめ,昨年8月,オーストラリヤのシドニーで開催のWCOTP(世界教職員団体総連合)総会において,「教師の資質」をテーマとして,多角的に熱心な討議が展開されたことなどにみられるように,教師の質が教育の質を決定するという,いわば自明の事柄が,最近こと新しく論じられてきているが,これはいずれの国においても,教師に人材を得ることが次第に困難になっているという事情によるとのことである。
わが国もその例にもれるものでなく,いかにして質の高い教師を得るかが,近年ますます大きな問題となっており,今回の中教審の教育改革案の中でも,教員養成の問題について,抜本的な諸施策の改善が強調されているところである。たしかに教育に人材を得る問題は,教員養成のあり方をはじめ,教員の社会的,経済的待遇などに深くかかわることであり,専ら国や地方の行政上の施策に,その解決の方途を期待すべきことであるが,それだけにわれわれ現職のものとしては,いわゆる現職教育の問題に,重い責任を感じるものである。
誰しも,はじめて教師の職についたときから,教師として望ましい資質を十分身に備えているということはあり得ないことであり,10年も20年もかけて,次第に形成されていくのが教師の資質である。教育というものに真の興味をもち,教育とはいかにも素晴しい仕事であるとの実感をもつことにしても,教師自身の人間としての成長にかかわることであってみれば,やはりかなりの年月がかかるものである。こうしたことを省みるとき,教師の研鑚が,その職責を果たす上で,いかに肝要なものであるかが痛感されてくるのである。
さて,このたび本県教育センターが,全国にも誇るべき施設,設備を整えて,いよいよ開所の運びとなり,調査・研究,教育資料の整備,教育相談の実施のほか,われわれ現職のもののために,幅広く充実した研修の機会が提供されることとなったのは,この上もなく喜ばしいことである。きけば,その研修内容は,すべての教科にわたり,しかも3,4年毎に各教師にその機会がめぐってくるように計画されるということであり,画期的に密度の高い現職教育の実現であるといわねばならない。
ただ,こうした折角の現職教育が,遺憾なく所期の成果をおさめるためには,参加する教師にそれなりの自覚と意欲がなければならぬことは勿論であるが,それと同時に,その計画内容が魅力あるものであることも大切であるとおもう。即ち,単なる常例的なものにならないよう,その研修形態などにさまざま変化を与える工夫などが必要であり,たとえば,ときには参加する教師の希望する研修テーマをあらかじめ調査し,そのテーマ別に研修計画をたてるなども一つの方法ではなかろうか。
日常,真摯な教育活動を実践していく過程で,教師は絶えず多くの問題に遭遇し,新しい問題に悩まされている。それは学習指導や生徒指導上のことであり,教師としての人生観,世界観につながる問題であり,また現実社会の政治,経済の動向に関するものであったりする。そうした教師の当面している悩み,あるいは問題意識の分野毎に共同研修の機会を設けることは,研修を一段と活発にするのに効果的であるとおもう。
いずれにしても,折角の現職教育の機会が,専門的知識や技術の向上のほかに,教育の意義や価値を知り,教師の使命観に生きることを学びとっていくことのできる充実した機会となるよう,心から願うものである。
福島県高等学校長協会長 池 下 泰 弘