福島県教育センター所報 第4号(S46/1971.12) -017/025page
れ,文部省大塚視学官から「理科の新教育課程実施上の諸問題について」の講演があった。
化学部会では今までの研究の成果を現場の指導資料として提供するため「新しい化学実験と探究学習」を来春出版するはこびになっている。
―経営学と学校経営―
研究・相談部 佐々木 勝夫
テイラー(Frederick Winslow Taylor 1856―1915)によって提唱された,いわゆる科学的管理法(The principles of Scentific Management,1911)が今日の経営学(大戦後までの経営学は,戦時の統制経済を合理的に運営していくものとして,ドイツに樹立された経営経済学を主流とし,わが国においても研究の対象になっていたが,戦後アメリカにテイラーを基盤とする経営工学―リニアプログラミング,モンテカルロ法,シミュレーション等も内容としたもの―が生まれ,それが今日,世界の主流となっている)の母胎をなしていることは周知のことである。
一方,工業生産の方式はMechanism→Mechanization→Automatization→Automationへと発展し,装置工業におけるProcess‐AutomationをFeed‐back Automationということも周知のことである。
Feed‐back Automationは機構内にSe1f‐Control(自已規制)を内蔵しており,無人管理に途を開くものである。すでに無人倉庫,工業用ロボヅト,N.C.(Numerical Control),M.C.(Machining Center)工作機が開発され,ここに工業生産を飛躍的に増大させる無人管理の時代が開花してきたといえる。
さて,経営学が体系づけてきた学問的成果が,教育の理念や手法の中に導入され,教育の未来を指向するものとして,脚光を浴びているように思われるが,若干の問題点を述べてみたい。
テイラーを始祖とする科学的管理法に端を発した経営学の体系そのものは資本主義的生産の合理化のために発想され,構築されてきたものであるが,その目標とするところは究極的には極大利潤の追求であり,マルキシズムの超克であって,技術革新とMarketingが恐慌から資本主義体制を防衛し得ると考えたわけである。
その後,いわゆる混合経済論の台頭に伴なって「利潤追求」が「生産性向上」におき換えられ,杜会責任,対境関係,また人間関係管理等が提唱されてきたが,「生産性」の定義は投入量(Input)と産出量(Output)の極大値を志向するものであり,「利潤追求」原理と同工異曲であると考えられる。ただ利潤追求は資本概念に属し,生産性は経営概念であるともいわれているが,これは経営学上,定立していない。
テイラーの科学的管理法の提唱以来50数年に亘って歴史的,社会的発展の下に体系づけられてきた経営学の理念や原理,手法等が,教育の分野に安易に導入されてはいないだろうか。
経営組織論上の原則である,権限(Authority)責任(Obligaton)委譲(Delegation)の3原則を採ってみても,この原則は少なくとも従業員千人以上の企業での多階層組織(大きく3階層に,細分すると7階層に縦断的分化が行なわれている)に有効に作動するものであるが,教育現場の組織は単階層組織とか重層組織とかいわれ,構成要員は,4―5名〜100名ぐらいのもので,企業では,生業か小企業程度の組織であって,組織論からいえば,縦断的にも横断的にも未分化な組織である。従ってこのような組織に経営学上の組織原則や機能を導入しても有効性は殆んど発揮し得ないであろう。(ただし,私は,教育現場はその機能的本質上,単階層組織ないし重層組織が望ましいのであって,多階層組織は編成不可能であるばかりでなく,むしろ教育活動の本質を損うものであると考える。)従ってまた,ライン,スタッフの援用については,組織論からいえぱ錯誤に陥っていると思われる。
教育の機能の本質は物的生産ではなく,また利潤追求でもない。教育活動の目標達成の客体が,経済財ではなく,社会的存在である人間そのものであって,与件(Data)は無数に存在し,変数を計量化することがひじょうに困難であり,有効性の検証と科学的妥当性の客観化も困難なため,投入量と産出量を科学的妥当性をもって計量することはできない。従って生産性向上の原則を適用することは不可能であろう。教育の機能は数年ないし数10年後にはじめてその光輝を人間の頭上に与えることもある。ここは常にかつ永遠にMentalな原理が広く機能する場であって,巨大資本による,あくなき機械化への要請も顕在化していないし,従って機械に打ちひしがれた人間性の苦脳や喪失は考えられない。機械に従属した人間性の悲劇,人間疎外を救済しようとして考えだされた人間関係管理(いわゆるホーソン実験によって実証された体系)の中で,インフォーマル組織とか,リーダーシップ,モラール等の定義は誤用ないし悪用されているが,これは検討を要することであろう。
たとえぱインフォーマル組織においてはインフォーマルリーダーシップが存在するとか,組合組織をインフォーマル組織と見なして行論を進めたり,インフォーマル組織に過大な重点をおく錯誤である。また"to lead"という動詞の意味の一つである「ぬきんでる」「すぐれている」という意味をとらえ,リーダーシップの意味を優越性,卓越性と混同して誤用したり,または悪用している教育現場のケーススダデイがある。これは組織原則の