福島県教育センター所報ふくしま No.6(S47/1972.6) -020/025page
B 不安だから,かえってまわりの情報を気にするだろうが。…… A だから,自分なりのものを作ろうとしている。 B それも長命ではないな。 A でも,原理や法則を失ってはいないよ。 B それも他からみれば,短命な原理や法則だろうが。 というような会話がきこえてきます。
このような会話のなかにも「消費的な情報」と「存続のために得たいとして要求する情報」とのずれがあらわれています.すなわち情報化社会に必要とされている意味論の世界が,この会話のなかにいきているのです。情報処理教育のむずかしさは,このようなところにも根ざしているものなのです。
さらにそれが仕事となると,その処理方法が従来の習慣そのままで,すすめられているのが普通ですので,なお一層「情報処理」というものの開発が困難になってくるのです。
さて,それでは,どうやって情報処理教育を軌道におしあげることができるのでしょう。
それは,作業を能率的にしたい,という気持にはじまります。そして,作業処理の方法を知って,なるほど便利なものだ,ならば「こういう事柄は‥‥‥」「あれによって処理しよう」ということを認知することでしよう。
その認知は,商業高校,工業高校にかぎらず,どの分野でも必要なものです。
アメリカの大企業のひとつが,コンピュータでの処理に関心がうすかったがために倒産した。と聞いています。
でも,ここでいう情報処理とは,コンピュータがなければできないものをいうのではありません。
中公新書 発想法 川喜多著(続編あり)
岩波新書 整理学 梅 綽著
「流れ図」とか「パーツ図」の書き方,「線型計画法」等も作業処理の方法だからですぐ
情報化社会=コンピュータ
は事実ですが,むしろ
情報化社会=処理の技法を求める
ことの方が,たいせつなことがらなのです。(なまじ,フオートランとかコボル等というコンピュータ言語を知っていても「これはコンピュータで処理解決することができるか否か」を分析できなければ,その知識は無意味なものに等しいと言えるくらいなので……。)
こうしてみると,商業高校・工業高校だけが情報処理教育の問題をかかえているのではなく,全ての学校が,共通に内包していた問題だったことになります。
いうなれば,お二人の玉稿は,すべての人びとにむかって情報処理教育の原点を暗示してくれたともいえるでしよう。
情報処理科でやっていること
福島商業高等学校教諭 鈴 木 悦 郎
本校での情報教育は肝心の電算機導入まで少し待たねばならないが,教育センターに近いことはラッキーであった。第3研修部の先生方の暖かいご協力と熱心なご指導によって,見学・実習ができるのは何ともありがたい。4月にはシステム見学とせん孔実習。5月はいよいよ本番開始だ。生徒達は各自がコーディングしたプログラムを抱えて穿孔室にのりこみ,コンピュータとのはじめての「対決」を経験した.胸をドキドキさせながら廊下のベンチで待つことしばし。ERROR MESSAGEに首をかしげる者,期待通りの出力に喚声をあげる者,こもごもである。
まだ,入出力・四則演算という初歩学習なのに,生徒の夢はふくらむ一方だ。「銀河系宇宙の広がりを計算してみたい」「円周率をコンマ以下10,000桁(!)位まで出したい」「百年後の日本の人口を推計してみたい」etc…。教師たる者,ここで熱に浮かされてはなるまい。ふだん無意識のうちに頭の中でコントロールしている事柄を,もう一度はっきり意識しなおさなければならない−このへんにコンピュータ相手のむずかしさがある。
言語文法をつめこむ以前に,物事をロジカルに組立てる能力を伸ばしてゆきたい。(1972.5.29)
情報教育を推進するための3つの提言
福島工業高等学校教諭 亀 岡 一 俊
福島県情報教育研究会(工業部会主催)の第3回目が催されたのは昨年11月であった。その会では工高における情報処理教育のあり方や施設・設備も考慮にいれての実践プランが熱心に討議された。以下はその結果,県当局をこ請噺する以外に打開策がないと思われるものを3点要約したものである。
1.コンピュータを早急に導入すること。
本県の工高は13校あるが,どこにもコンピュータは導入されていない。各校の先生方は,プールなしの水泳教室でクロールを教えているようなものである。昨年,県に対し工高長会がミニコン導入の請願をしたのに認可されなかったのは誠に遺憾であった。2.長期研修費の大幅増額を図ること。
長期研修を終えた教員は取敢えず各校に1名が必須である。少なくとも県下で25名の情報処理関係教員の養成をはかることを目標に,暫定的に情報教育研修費を大幅に増額して欲しい。