福島県教育センター所報ふくしま No.11(S48/1973.6) -002/025page
探究的に学習をすすめるための研究
教科における発見学習のあり方
− 基礎的な学力を中心として −第1研修部 佐 藤 政 夫
現在私たちは,さまざまな手に負えない原因のために,昔のようなやり方では物事の処理ができなくなってきた。私たちはもはや安易な気持で,敷かれたレールの上をのんびり歩いているわけにはいかなくなり,私たちの理想とするものを再評価し,新しい理念によって全体を厳しく吟味してみる時機がきているようであり,人生の価値も教育の価値も再考すべき時機がきているとみるべきである。
いうまでもなく,情報化社会であり,知識爆発の時代である,「キリスト生誕後約2000年のあいだ,知識の集積は,はじめのうちはきわめて緩慢であったが,やがて急激な加速度的増大がおこった。キリストの生誕から1750年目に知識の最初の倍増が見られ,1900年目には第2の倍増,1950年に第3の倍増,第4の倍増はわずか10年後の1960年におこったのである」(全米教育協会,森昭ら訳「教育の近代化」)。20世紀の後半1950年以後は知識量カミ加速度的に急増していて,私たちの周囲には知識が満ちあふれ,やがて知識が爆発をひきおこしそうな形勢である。
これまでは博知・博学は美徳と考えられてきたが,今目では,ただの博学はもはや美徳では狂いということである。
何物にも感受性の強かったルソーは,すでに知識の最初の倍増があらわれた18世紀において,博知主義にたいして,鋭く美しい諷刺をしている。
「私は,知識を愛してその魅力にひかれたあげく,ひとつの部門から他の部門へと移って停まるところをしらない人をみると,いわば海岸で貝殻を集めている子どもが,姶めは一生懸命拾いあげるが,その先の方にある貝殻にひかれて前の貝殻を捨て,つぎに再びそれを拾いあげて,結局その数があまり多くたるために,そのうちから取捨することができないで,とうとう全部を投げすてて,空手で帰って来るのを見るような気がする」(ルソー・平林訳「エミール」)
ルソーが早くも予感した危惧が,20世紀後半のわれわれには,巨大な現実の問題となって登場してきた。
1. 教育の現代化の大きな課題
情報化社会・知識爆発の時代は教育界に教育の現代化が要請されたわけである。その現代化の大きな課題は,第1に求められるものは,知識の量の問題である。知識や情報の量的獲得を求めるのでなく,社会の変化にも耐え,転移カも備えた,基礎的で本質的な知識を身につけさせることである。
第2に求められるものは,能力,態度の問題である。ある事態に直面した時,散在する情報を目的にそって収集し,整理し,関係づけて問題を解決していく能力であり,態度である。つまり,情報処理の能力であり,問題解決の能力である。いいかえれば,この能カは創造性なのである。
すなわち,現代社会に対処し得る能カとは,豊富な知識や,その前提となるべき理解力や記憶力ではなく,情報を処理したり,これを自由に使いこなして問題を解決していく創造的な能力であり,これは情操教育にも通ずるものである。したがって,この創造性をいかに育てていくかということが,現代教育の課題となってくるわけである。
この現代化の課題にとりくんだ学習方式に探究学習・問題解決学習・系統学習等があるが,記憶中心の学習方法は,知識爆発の現代では,まったく不適格だといわねばならない。それを克服するのに生まれたのが科学的な体系知識をもってする系統学習であったが,これは方法面にはわりあい無関心であった。
もう一つ問題解決学習は,問題解決的な主体学習であり記憶中心に代えるに思考力形成をもってすることによって,おもに方法面から克服をはかろうとした方式であるが,内容面にはわり合い無関心であること。この系統学習の知識結果面を重視するか,主体学習の