福島県教育センター所報ふくしま No.12(S48/1973.8) -003/025page

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  年たけてまた越ゆべしと思ひきや
  命なりけり小夜の中山 (西行)

 この両作品との情景の類似を学習させるのも効果があろう。その結果,「野ざらし紀行」初頭の<野ざらしを心に風のしむ身かな>の果てしない流浪の旅情の切なさが,「道のべ」の句に付加されて,一層味わい深い作品として浮かびでてくるだろう。

(2)その他の句での場合
1初案との比較 2漢詩との比較 3和歌との比較などの事例を考えていこう。

1の例
  山寺や石にしみつく蝉の聲 (曾良書留)
  さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ (初蝉)
  淋しさの岩にしみ込せみの聲 (壬申日誌)
  閑かさや岩にしみ入蝉の聲 (奥の細遺)

 a 山寺―> さびしさ―> 淋しさ―> 閑かさ
 b しみつく―> しみ込む―> しみ入る
のabの二点から,成案の世界への遣すじが示されている。
 例えば,しみつく― > <外面への付著>しみ込む―> <表層にとどまって,内奥に達していない>しみ入る―> <蝉声と古岩との融合>の学習の中で,眼前の風景そのものが,芭蕉自身のその時の気持である,つまり,宇宙の寂心の表現となった,景情一致の芭蕉俳講の理解への道が開けよう。

 以下,事例のみを列挙する。

  五月雨を集めて涼し最上川 (曾良書留)
  さみだれを集めてはやし最上川 (奥の細道)
  白露もこぼれぬ萩のうねり哉 (しをり集)
  白露をこぼさぬ萩のうねりかな (こがらし)
  しら露もこぼさぬ萩のうねり哉 (芭蕉図録)

2の例

  病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

  孤雁不飲啄 飛鳴声念群 誰憐一片影
 相失万里雲 望尽似猶見 哀多如更開
 (杜甫,孤雁)


 両者の比較の中で,その類似点として鮮明化されるのは,孤雁への愛憐の情である。
 さらに,杜甫の詩をもとにして,病雁の句をたどる時蕉翁の胸心の悲しみの深まりをこの句に見せてくれる。

 さらに,もう一例
  象潟や雨に西施がねぶの花
  水光激瀲 文字 晴偏好 山色朦 文字 雨亦奇
  若把西湖比西子 淡粧濃抹両相宜
   (蘇東坡,西湖)


3の例
 芭蕉の象徴的表現,ことに,景情一致の作風は,杜甫あたりを中心とする漢詩の,何らかの示唆があったことは,前述した事例から推察される。
 さらに,その象徴的詠風は,わが国の伝統的詩歌にも,まったく例がないわけではない。例えば,万葉集,さらには,新古今集の作品の中から発見することは易しい。

  石山の石より白し秋の風

  み吉野の象山のまの木ぬれには
  ここだもさわぐ鳥の声かも(赤人)

  志賀の浦や遠ざかりゆく波間より
  氷りていづる有明の月(家隆)

 以上の三例は,いずれも,単なる情景の表現にとどまっていないことが発見される。
 ところで,赤人の場合,作者の鳥に対して抱いた群生のよろこびは,多く感傷を含んでいる。芭蕉の作が示す寂蓼の鋭さをとらえるうえでの,比較の教材として役立つであろう。


III 和歌における実践

(1)「春立てば」の場合

  春立てば花とや見らむ白雪の
  かかれる枝にうぐひすの鳴く(古今)

  冬ごもり春さりくらしあしびきの
  山にも野にもうぐひす鳴くも(万葉)

 両歌の比較は,万葉が自然を素直に,あるがままによんだに対し,古今の歌は,<白雪を花とみる>という着想の得意さの上にあることが鮮明にわかる。単に,古今の歌を対象として,その技巧性,理知性をとりあげる以上に,自覚的な理解にいたる。


 以上のように,素材を同じくする歌を比較することによって,それぞれの作品の着想の特徴や,作風の特性などを洗い出していく道があろう。
 その事例を以下に示す。

  春霞たつを見すててゆく雁は
  花なき里に住みやならへる (伊勢)

  霜まよふ空にしをれば雁がねの
  かへるつばさに春雨のふる (定家)


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