福島県教育センター所報ふくしま No.12(S48/1973.8) -004/025page
二首ともに,雁をよんでいる。
春立てば花とや見らむ白雪の
かかれる枝にうぐひすの鳴く (万葉)
雪のうちに春は来にけりうぐひすの
凍れる涙今やとくらむ (古今)
うぐひすの涙のつららうちとけて
ふる巣ながらや春や知るらむ (新古今)
上掲の三首は,うぐいすをよみ,現実的,理知的,直観的などのとらえ方の対称はみごとである。
(2)「うぐひすの」の場合
うぐひすの涙のつららうちとけて
ふる巣ながらや春や知るらむ
この歌は,古今の<春のうちに>を本歌としている。特に,新古今などで,本歌取りの歌と本歌の場合,その数似点の多さが,両歌の発想のちがいなどを鮮明にするうえで,恰好の学習である。
以下,一例を示す。
くるしくも降り来る雨か三輸が崎
佐野の渡りに家もあらなくに (万葉)
駒とめて袖うちほらふかげもなし
佐野のわたりの雪の夕暮 (新古今)
前歌は,作者その人の苦しみを歌ってあり,後歌は,佐野のわたりの零の夕暮れの景を描いたものとなっている。現実的とらえ方,絵画的風景としてのとらえ方,完全な発想の相違は明瞭である。
(3)比較の種類
(1),(2)で,素材の類似したものでの事例をあげたが,次のような比較学習の観点が考えられよう。
1 同じ着想にもとづく作品の比較
2 同じ心情を,異なる立場からよんだ作品の比較
3 同一作家の作品で,内容的対立を示す作品との比較
4 同じ素材の他の作晶形態との比較
5 贈と答の関係にもとづく比較
6 漢詩との比較
などが考えられよう。以下,それぞれの事例を示す。
1の例
秋の野に人まつ虫の声なり
われかと行きていざとぶらはん (古今)
女郎花多かる野辺に宿りせば
あやなくあたの名をや立ちなむ (古今)
<ともに擬人化の歌である。>
2の例
藤垣の隈所に立ちて吾妹子が
袖もしほほり泣きしぞ思ほゆ <妻を思う夫の歌>
防人に行くは誰が夫と問ふ人を
見るが羨しさ物思ひもせず <夫を思う妻の歌>
父母が頭かき撫で幸くあれて
いひしけとばぜ忘れかねつる <親を思う子の歌>
家にして恋ひつつあらば汝が佩ける
大刀になりても斎ひてしかも <子を思う親の歌>
3の例
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めば
ましてしのばゆ・・・・・ (憶良)
士やも空しかるべき万世に
語りつぐべき名は立てずして (憶良)
4の例
いそのかみ古りにし人を尋ぬれば
荒れたる宿の董摘みけり (新古今)
つばなぬく浅茅が原のつぼすみれ
今さかにもしげきわが恋 (万葉)
妹が垣根三味線草の花咲きぬ (蕪村)
つと立ち寄れば,垣根には,露草の
花咲きにけり。さまよひ来れば夕雲の
これぞこひしき門辺なる。 (藤村)
5の例
人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける (古今)
花だにも同じ香ながら咲くものを
檀ゑけむ人の心知らなむ (古今)
6の例 ――省略――
VII おわりに
今まで述べたことは,この春まで,実際に授業の中で実践したものでもあるし,観念の実践の例も含まれている。
文学教育の場合,以上の比較学習が,とかく,理に陥る弊には,じゅう分に配慮されねばなるまい。
今後,更に整理,検討を加える必要がある。