福島県教育センター所報ふくしま No.13(S48/1973.11) -013/026page

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ともなり,人類の永遠さえも望めるのである。

創造的思考ということを考察してみると,そこになんらの知識もなくては不可能である。われわれがなにか新しいことを考え出そうにも,既有の知識を総動員してそれを再構成し,プロセスとして組織するところで可能になる。また,このプロセスをふむにあたって,どのような思考もつまずきなしに進行するということはあり得ない。思考それ自体が停止し,停滞し,挫折し,屈折したり,断絶もする。このつまずきを解きほぐすようにし,ある場合はそのプロセスさえも修正するように誘導して解決の彼岸に導く。これが教師のしごとである。

新しい教材こ出会っておどろき,好奇心がかき立てられ,研究課題を発見するこの間にも,生徒たちの創造的思考はおこる。自分ならばこうする。このほうが形もよく,多くの人々に愛されるであろう。こうするにはどうすればよいか,これ自体が思考である。原始的思考といわれようが,直観的思考と評されようが,その方法を考えるとき,創造的思考がはたらくのだといえる。現代はあり余る情報社会であるから,それを選択して利用し,駆使して,さらに高次の創造をはかっていくのが,人間本来の姿ともいえよう。生徒たちの本領発揮の場ともなろう。

これを金属加工(ブックエンドの製作)について見てみよう。新しい教材と出会い,もしくは教師が新しい問題に当面させたときから,それぞれ観点を異にしてはいるものの,同一の目的に達するための思考がはじまる。直観と,先行学習(ひとり技術・家庭科で得た学習のカに限るまい)経験から得た知識を駆使しはじめる。それは次のように示すことができる。

図3


4 創造的思考力を伸長させる留意点

(3) 思考は問題解決の方法である。だから,なにを,どんな順序でやったらよいかの知識を与え,その知識を活用する技能を与えることである。((3)岩手大駒林邦男)つまり,思考方法を教えることである。知識をもっていても解決できない生徒,これは,その知識をつかって,なにを,どうしたらよいかがわからないでいるのである。試行錯誤をとがめだてしないことも重要である。

他教科の場合と同じく,技術・家庭科における遅進児は,皆と同一の能力を有しないのであるから,学級成員全員がその作業,その進度,その思考方法は同一でないから,実習工程が同一にすすめられるということはできない。とかく遅れる生徒は,心身ともに遅れているのであり、つまずきも多い場合と思われる。このような生徒に対して教師は,つまずきの原因をさぐらせ,思考の修正をも促し,解消に助力してやるのである。そのステップを細かくして与えるということは前述したが,このように,ステップを細かく与えれば与えるほど,かれらの創造的思考を狭小にしてしまうおそれを生ずる。ある場面では,全く阻害してしまうこともあろう。ステップをふむそれが機械的に進行しているだけで,益のない模倣をすすめているにすぎない。教師のしいたレールをただすすんでいるだけだからである。

このようにするにはどうしたらよいかの試行もなく,思考もしないで,教師の方向ずけをすなおに行なっていって作品完成という状態では,個別化したという見方もあろうが,工場における工程の機械器具の役目を生徒がひとりで行なっているにすぎない。

プログラム学習では,プログラマーの指示通りにすすめられていく。これを極言すればその過程に創造的思考のはたらく余地がない。解決に向かっていく解決者の思考が,きわめて稀薄だといわざるをえない。

このことから,この盲点に注目し,ステップを細かくするとしても,その誘導・促進・助言の際,解決者(生徒)に対して,その解決に役立つ知識,行為を現実的なものにして示し,それを自己の中にとり入れていわゆる自己組織化を促す方途をとることである。できるだけ自力での解決へ向かわせるために,どうすればよいかを探らせ,その領域を考えさせ,そのはっきりした領域の中のいくつかの要因からえらぶとかさせて,解決へむかう自己のはたらきの余地を用意することである。


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