福島県教育センター所報ふくしま No.14(S49/1974.1) -004/022page
マストの上のむすこを見ると,いきなり鉄ぽうを向け,「うつぞ」とさけんで船長の気持ちを読み取る。 (4) 主題追求について
マストの上のむすこに向かって,いきなり「うつぞ」とさけんだ船長について,児童は,自分とのかかわりの中から,
I どうしてよいかわからなくて,まごまごしてしまう。
II 鉄ぽうを向けたりしないで,船員をよんで助けてもらう。
III やっぱり,この船長のようにする。
という3つの型の反応を示すものと考えられる。これらは,それぞれの船長観を述べたものであって,読みを深めるきっかけとして大事にとりあげていきたい。この三者の対立点を表現に即して明らかにしながら,話し合いを深めることによって,船長の行動と心情が浮きぼりにされてくるからである。
<Iについて>
「どうしてよいかわからない」では,船の人々と同じ立場に立っているに過ぎない。船長にとって,その場の状況は,一瞬のできごととして目に映ったのである。いきなり鉄砲を向けたのは,父親としての愛情から生まれた行動であって,「まごまごする」ことが許されなかったことに目を向けさせたい。
<IIについて>
「両手をふらふらさせながらわたり始めた→あともどりはむずかしい→ぐらぐらと足元をふらっかせた」
できごとは,一刻の猶予も許されない状況にまで追いこまれている。「船員をよんでマストに登らせる」ことは,「かんばんにたたきつけられて,粉みじん」になってしまうことにつながることから追求していけば,状況に適した行動でないことが理解できよう。
<IIIについて>
「船長のようにする」だけでは,皮相的な読みにとどまることになる。IとIIから,さらにそのときの船長の気持ちにまで立ち入って,自分の問題と同化させながら読むとき,初めてこの場面における切迫した危機感を受けとめることができる。そして,最後の段落で,息をふき返したむすこを見定めた船長が,「とつ然大きな声でうめき・・・・・自分の船室へかけこんだ」ことから,その行動の必然性と心情をより深くとらえることができるものと思われる。
4.おわりに
探究的な学習は,児童みずからが問題を持ち,その解決をめざした学習を展開していく態度があって初めて成立する。したがって,このような態度を育てることが,「国語で思考し,創造する」ことに連なるわけである。次の事項は,毎日の国語教室において特に大事にしたいことがらである。
(1)疑問,驚き,ひらめきなど,その場で言語化させる。また,それがたとえ誤答であっても,暖かく受け入れられる教室でなくてはならない。
(2)書かれている事実をもとに,それが「どう書かれているか」さらには,「それをどう思うか」が重視される。そして,答えは常に明確な理由や根拠をよりどころとして述べられることになる。
(3)思考をともなう発間がくふうされると同時に,個人学習と共同学習の場が用意される必要がある。