福島県教育センター所報ふくしま No.14(S49/1974.1) -019/022page

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教  育  随  想

英語学習によせて思うこと

第1研修部    鈴  木     均



英語の文法には,学校文法,つまり,スクール・グラマーといわれるものと,科学文法といわれるものがあります。科学文法というのは,英語の言語現象をありのままに観察し,記述し,それに基づいて考察をすすめながら,英語の文法を学問的に研究していこうとする立場にあります。これに対して,学校文法では言語現象を必ずしもすべてありのままには示しません。実際にはこれこれのようにも使われてはいるが,学校の文法として教えるときはこのようにしようという立場をとるのです。

たとえば,実際の会話などでは疑問文のなかにsomeが使われることが非常に多いのです。しかし伝統的な学校文法ではsomeは疑問文のなかで,anyにかわると機械的に教えてしまいます。そして少し学年が進んでから疑問文中のsomeについて補足的に教えます。なぜそのようにするのでしようか。それは段階をふんで進むということが学習のばあい大切なことだからです。

たとえば,かりにある先生がやっかいな説明は省いて疑問文のなかではsomeのままでもいいし,anyに変えてもいいという教え方をしたら,おそらく生徒は何となくしっくりしないでしょう。まして生徒が家で学習する参考書などにany一点ばりのものがあったりすれば,生徒の不安はますますつのるばかりです。また,もし先生が疑問文中のsomeとanyのちがいについてあまりくわしく説明をするとしたら,大部分の生徒はその説明がわからずに困惑することでしょう。そこで,一応疑問文中のsomeという現象には日をつぶって,anyだけを教えるということになるわけです。

最近,あちらこちらで性教育はどうあるべきかということが話題になっています。先日もある新聞に本県の小学生,中学生,高校生の性意識に関する記事がのり関係者の注意をひきました。しかし何でもありのままに示すのがよいというので,ちいさな子どもにも何から何まで話すとしたら,それは不適当なことでしょう。この場合にはまず年齢に応じて何を教えるべきかの配慮が必要だと思います。さらに,近ごろでは身体の発達やマスコミなどの情報源の多様化のおかげで,子どもの性に対する意識はだいぶ早まっていることも事実です。そうするとその教材は時代とともに変えなくてはならないこともありうるわけです。

前述のsomeとanyの問題にしても,もし大部分の教科書が疑問文中のsomeをまず教えるというようになれば,伝統的な学校文法の教え方もかわることになるでしょう。このように生徒の受け入れ態勢,時代のすう勢,その他いろいろのことを考慮して何を,いかに教えるべきかを考えていくことが大切なのだと思います。

近ごろ教育界でさかんにいわれることのひとつに創造性ということがあります。創造というのは文字どおりには,何かをはじめて作りだすことでしょうが,まったく無の状態から新しいものを作りだすことはできません。いろいろ過去に知っているものをもとにして自分なりになにか新しいと思えるものを作りだしていくことだと思います。教育は教え,育てることであり創造性を大切にします。しかし創造性を育てていくためにも,段階をまえた教育的な配慮というものがやはり必要になってくるのではないでしようか。

よく絵画や彫刻などの修業についていわれることが,はじめのうちは過去の大芸術家の作品を見習う作業が長くつづきます。そのあとになってはじめて自分独特の作品が作れるのだといいます。またアメリカのブルナーという教育学者は,「もし生徒にたとえば物理を教えたいなら,その生徒には物理学者の考え方をたどらせるのが一番よい」ともいっています。学習者自身はそのことを意識していないかも知れませんが,見習う過程の大切さを示唆しています。

この事情は英語学習についてはさらにきびしいものがあります。英語というのははっきりと出来上ってしまっているもので,かりに自分独自の発音やルールで話しても相手にはわかってもらえないということです。理屈ではこういうこともできるし,むしろその方がわかりやすいという場合ですら,もし英米人がそのようにいわなければ,その考えられた表現法はだめであり,彼らのいうような仕方に従わなければなりません。フランスのタルドーという哲学者は真の創造は模倣に徹することだといいましたが,英語学習にあっては英米人ならどういうのだろうかということをある期間見習う必要があります。そのあとになってはじめて創造性の働く余地がでてくるものです。とくに初歩の段階で,あまり創造性を強調しすぎることは危険であり十分注意をしなければならないことだと思います。

「這えば立て,立てば歩めの親心」という言葉がありますが,子どもの発達段階をしっかりとふまえなstep by stepの成長をねがう親心は本当に大切なものでしよう。


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