福島県教育センター所報ふくしま No.15(S49/1974.3) -003/030page

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である。そのことは具体的には,授業が一つのがっちりした起承転結のまとまりで終わるのではなく,「わかったことをふまえて,より大きな疑問が芽を出す」というような未ひろがりとなるケースが多くなることを意味するものと思う。

3.発見の対象となる学習過程

事実と事実との間にたえず人間がかかわりをもつような因果律をとらえるという社会科学習の本質から,「事実と事実,現象と現象との間に存在する関係,あるいは関係の関係を発見すること」が社会科発見学習の対象であることを述べてきたが,そのためには,どのような学習でなければならないか,つぎに述べてみたい。

発見学習は,周知のように,学習者を知識の生成過程に参加させる学習方法であるが,その過程は,普通結論をだすために必要な事例が,あらかじめ,十分,与えられ,それを克明に分析していって結論に到達するのではなく,少数の事例を手がかりにして,多かれ少なかれ直観に訴えて仮説を設け,それを証明していくという様相となる。この意味から,その基本的な学習過程は,「課題をとらえる」「予想をたてる」「仮説にたかめる」「たしかめる」「発展する」の5段階として設定される。社会科の場合,この5段階はあくまで基本的な一つの形として設定したものであって,実際の学習場面では,各段階の様相や,ときには5段階を踏む必要のない場合もあることはいうまでもない。各段階のねらいや特徴については,別段問題はないが,テーマにかかわるいくつかの点は,この学習過程のなかで見出せるように思われる。 まず,「課題をとらえる」場面である。この段階の重要性については,別に発見学習に限らず,子どもに主体的な学習をさせようとする場合には,一様に強調されるところである。しかし,子ども自身仮説をたて,それを検証していく発見学習にとっては,とりわけ重要である。なぜなら,子どもに発見すべき課題を明確につかませ,その課題解決の意欲を喚起するこの段階が,脆弱なものであっては,仮説の設定も,あとの学習の持続もおぼつかなくなるからである。

「予想をたてる」段階では,直観的にひらめいたことがらや,既習の経験,与えられた資料などをよりどころにして,解答を推測するのであるが,その内容が,たとえ事実や常識に照応していなくても,その新鮮で独創的な発想や思考は,十分尊重されなければならない。

「仮説にたかめる」段階は,子どもの話し合いで可能なかぎり予想を整理する活動から出発する。ここでは関係的な思考が中核になる。そして,話し合いの状況に応じて,ときには資料をよりどころにしたり,助言を生かしながら「仮説」にまで高めていくのである。

この「仮説にたかめる」段階も,自己の予想や思考の精練・修正,さらに「検証」に進む態勢づくりのために,非常に重要視される段階である。まさに帰納的思考と演えき的思考を駆使する活動の場だからである。この段階で,予想が「仮説」にまで高められると,その仮説を武器にして具体的な事象を分析する形で「たしかめる」活動が展開されるのである。ここで発見の過程は一応終了するのであるが,学習活動としては,つぎの発展的な場を用意することになるのである。

社会科の場合,一つの発見が,つぎの疑問や矛盾を生起させるという要素が非常に大きい。つぎの課題をきちんと位置づけたり,子どもの主体性に法則を還元したりすることにより,新たな矛盾を内包させるのが,「発展する」の活動である。

4.発見学習における資料の価値と位置づけ

このように発見学習における学習過程での留意点を述べてきたが,そのプロセスの中で多様な発想,思考をのばすうえで忘れられないのは,「資料」の問題である。学習過程における資料の価値と位置づけは,何も発見学習ばかりではなく,探究的学習やその他の学習でも,こと社会科における問題解決の前提となる最も大切な要素は「資料」の活用であろう。

社会科,とりわけ発見学習においては,その資料の活用は不可欠そのものであるが,発見学習において資料の果たす役割はどんなものであろうか。

発見学習においては,子どもがたえず課題意識をもち,主体的に課題を追究することによって解決していくのである。そして社会事象における法則を見つけ,さらにまた,それを転移して他の学習を発展するということと,それを一連の学習過程で学ぶところにもその特色がある。このように課題を見つけ,追究するといった学習を支えているものはほかならない資料である。そのためには,課題を追究していくために必要欠くことのできない資料を厳選して学習の場に提供し,クラス全員のための資料を用意することをしないのでは,課題追究の共通基盤があるかないかということにもなるからである。

さらに特色としては,資料はあえて原文(もとのままの文)ないしは原文に近いものを与えることである。この資料のことを,発見学習の立場では「生の資料」とよんでいる。生の資料を利用する最大の理由は,生のものを平易に一般化したものだと,当時の人々の感情や気持ちが表わされないと考えるからである。しかし,生の資料については,小学校段階での読解カから,ルビをつけたり,教師の補説を考慮することはもちろん必要であろう。

(1)課題をとらえるための資料

この段階での資料は,これまでもっていた知識・経験を適用しても解けない矛盾点や問題を含んだものでなければならない。と同時に学習問題を容易に発見できることが大きな条件である。すなわち子どもたちが今までの自分の経験や知識を動員しても,おかしい,変だ,変わっているなと感じとられるものであることが必要である。そのためには,子どもたちの既有の知


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