福島県教育センター所報ふくしま No.17(S49/1974.9) -004/026page
4 指導法の手がかりが得られる。
(3)表現の特徴について
まず,題名について考えてみたい。「ちえ」は「物事を思慮し,計画し,処理する力」(広辞苑)である。すなわち「……する力」として能動的な意味で使われているのが普通である。これを作者は「たんぽぽのちえ」と表現することによって,花から種になって飛び散っていくまでの理科的事象を,擬人法によってたんぽぽの側から説明しようとしている。
題名にみられるこのような特徴は,次のような表現法で文章全体を統一している。
・たんぽぽは,きれいな花を さかせます。
・たんぽぽは,花をしずかに 休ませて, たねにえいようを おくっているのです。
・たねを, とばしてやるのです。
・花のじくが, おき上がります。
・たねを, とおくまでとばすことができるからです。
・いっぱいに ひろげてとばします。
・すぼめて, とばさないようにします。
そして,最後の段落では,題名と結びつけて,
・いろいろなちえを はたらかせて, あたらしいなかまを ふやしていくのです。
とまとめている。この特徴を理解させるためには,たとえば,
きれいな花をさかせます。
きれいな花がさきます。
なかまをふやしていくのです。
なかまがふえていくのです。
という文型の比較を指導の中に組み入れていくことが考えられよう。
また,このような表現の特徴と関連させながら,
・ぐったりと(たおれる)
・ふわふわと(とばす)
・ぐんぐん(のびる)
などの擬態語の取り扱いについてもくふうしたい。これらは,状態の感じを具体的に認識させるのに効果的なはたらきをしているからである。
その他,表現上の問題としては,語句の意味や語法,文末表現などについても検討することが必要である。
(4)説明の展開について
最初に説明の進め方の一例として,2段落と,3段落との関係について考えてみる。
<2段落>
二,三日たつと
花は,黒っぽい色にかわっていきます。
↓(そうして)
花のじくは,じめんにたおれてしまいます。
<3段落>
けれども,かれてしまったのではありません。
花を休ませて,たねにえいようをおくっているのです。
↓(それで)
たねは,どんどんふとっていきます。
2段落は,たんぽぽがかれてしまって,種にならないのではなかろうかという予想をいだかせる述べ方をしている。ところが3段落の初めで「けれどもかれてしまったのではありません。」と読み手に呼びかけるいい方で予想の転換を図らせながら,2段落で説明している現象の理由づけをしている。
次は「時を表すことば」によって,たんぽぽが変化していく過程が述べられていることに注目したい。
・春になると…………………………1段落
・二,三日たつと……………………2段落
・やがて ……………………………4段落
・わた毛をとばすころになると………6段落
いずれも段落の最初に出てくる語句であるから,順序を正しく読みとるためには,有効な手がかりとなる。3,5,7段落には「時を表すことば」は出てこない。これらはいずれも前の段落で述べたことを受けるはたらきをしているからである。もちろん,2年生であるから「段落指導」というねらいで取り扱う必要はない。順序を読みとるためには,このようなところに着目することに気づかせることでじゅうぶんである。
4.おわりに
以上,教材の分析と解釈をとおして「説明されていることがらを正しく読みとらせる」ことについて考えてきた。
一般に説明的文章は,文学的文章が持つ情感的なあたたかさに対して,知的な冷たさがあるといわれている。もちろん,両者は質的に違うから,読みとり方に違いがあるのも当然である。しかし,説明されていることがらだけを追いかける学習にとどまる限り,子どもたちにとって「知的な冷たさ」は,ますます興味のないものになってしまうであろう。
説明文の特質は,書き手と読み手の関係でとらえられなければならない。そのような考えに立てば,書き手を離れた読みだけではじゅうぶんでなくなってくる。説明されている対象だけを問題にするのではなく,そこに表された書き手の認識・判断・思考のしかたをさぐる指導がなされなければならない。そのためには,読みの技能を確かなものにしながら,事実の客観的な説明の裏にひそむ意味を読みとるようにしていきたい。すなわち,正しく読みとらせるための指導のあり方を,基礎的な技能を伸ばすこと,表現をとおして形象に迫ることの両面から組織化していくことが必要になってくる。