福島県教育センター所報ふくしま No.19(S50/1975.1) -002/026page
学習指導の最適化をはかるための手だて
中・高校教材
読解指導における段落の考え方
―説明的文章教材を中心に―
第1研修部 舘野 勉
1. はじめに
読解指導が,必ずしも段落考察の方法で行われるわけではない。一般に,論説・評論の読解では,文章の性格上段落の指導がとりあげられることが多いようである。
しかし,段落というのは,客観的な法則性に乏しく,一定の区切り方があるわけではない。そこで,国語教育の世界では,形式段落(改行ごとの段落)と意味段落(改行にとらわれない意味上の切れめ)とが考え出された。改行されていても意味のうえでつながりのある場合の揺れを解消する便法である。それでも,実際の文章には,複雑で意味の切れめやつながりが解かりにくい部分が多い。そのような部分まで,簡単に割切って,どこかの段落に押しこんでしまっていいのだろうか。区分けした意味段落の要旨をとり出し,それをもとに文章の要旨をまとめる。われわれは,スープを捨てて鍋の底にひっついた骨片を有難がってながめているのではないだろうか。
このような疑問を出発点として,「段落」の素朴自然なとらえ方が,もっとも文章の核心に触れる読み方につながるということを述べてみたい。
2. 表現・理解の観点からとらえた段落
表現・理解つまり筆者・読者に即していえば,次の図の通り三つの段落を指摘できる。
この三つの段落のうち「文章の段落」は客観的存在として動かないが,「筆者の段落」は表現の完了までに動きがあるし,読者は文章を「読む」過程で読者なりの段落を想定するはずである。このように表現・理解という行為に即して考えると,意味の切れめとしての段落が,いろいろに動く可能性をもっている。
この点に着目して考えられたのが前述の「形式段落」と「意味段落」であろう。すなわち,「形式段落」とは「文章の段落」であり,「意味段落」とは「読者の段落」のことであるが,ここには「筆者の段落」が考えられていない。「文章の段落」は「筆者の段落」の最終的な姿を示すが,それまでのプロセスは「文章の段落」に潜在して姿を示さない。したがって「筆者の段落」を読むことはむずかしい。
そこで,「文章の段落」の中で,段落の連接関係があいまいな段落に注目したいのである。段落に揺れがあるところこそ筆者の段落意識をとらえやすいところだと思うからである。このことについて次に考えてみたい。
3. Bridge−paragraphの導入
たしかに,段落相互の連接関係は一様ではなない。相互の結びつきの強いものもあれば,弱いものもある。それによって意味上のまとめをしているのが一般である。
ところが,実際の文章では,たとえばB段がA段とC段につながっているものもある。
このように,A段,C段とともに大きなまとまりにすることのできるものもあるが,そういかないものも多い。