福島県教育センター所報ふくしま No.26(S51/1976.6) -002/034page
小学校教材 知っている単語の意味を広げさせる指導
教材文の語いのとりあげ方をめぐって
第1研修部 館 野 勉
1.はじめに
「子どもたちの語いが貧弱で〜」ということをよく耳にする。とくに表現活動に関してその言を聞くことが多い。情報過多といわれるいまの時代に伝えるべきことぱを持たないということは一体どういうことなのか。その要因を解明することは,そう単純ではないように思う。
ただ,そうであるとすれぱ,国語科の教育として,語いを豊かにするために何をすればいいのかということが問われなけれぱなるまい。とくに,理解活動に関する学習の中で,語いの拡大をはかる学習のあり方が反省される必要かあるのではなかろうか。
そういう意味で,教科書の文章で語いの拡大をはかるということについて考察を加え,そのために教材となる文章中の語いのとりあげかたに関してのべてみたい。
2.「語い」と「語い力」
(1) 語いの意味
語いの意味は単一ではないが,いずれの揚合でも,「語いは性質と範囲を考えた単語の群れ」ということができるので,ここではそれをもとにして論をすすめることにしたい。単語というものは,弧立したものでなく,ある文章の中でいきたものとなるのである。文章の中でどんな使われ方をし,どんな意味の表現に使われるかを整理していくとき,必ず,そこに,ある一般性を帰納することができる。その一般性の中で,文をつくるために文のなかで一定の規則に従って変化するのが,文法的性質である。一方,単語は常に一定の現実をあらわし,これに対する名まえとしてはたらいている。これが語い的性質である。
(2) 語いカの意味
語いカはたんに語いを知っているというだけのことではない。語いがそれだけで孤立して存在するのではなく,実際の文の中で初めて存在する以上,語いは,いつもその使用と理解の中で考えていかなければならない。だから,語いカというのは,「使用語いの力」であり,「理解語いのカ」である。決して単語をたくさん暗記していることでもなけれぱ,単語をいいかえる力でもない。
3.教科書での扱われかた
語い力が,実際の文章を読み書きする中で培われるものとすれば,教科書の文章でどう指導するかということが問題とならざるをえない。教科書の扱い方の一つは,本文のらん外に指導語いをあげておく場合である。
とりあげられた語 教科書名 ページ 題材名 そそくさ 光村 三上 44 ああ どこか から 目もくれずに 東書 五上 60 フリチョフ=ナンセン 二つは,各題材のあとにつけられた「学習の手びき」などの問題としてあげておく場合である。
次の語句は,どんなときに使うか考えて,短い文を作ろう。
- とほうにくれる
- 目をこらす
- やむをえない
- 念をおす
(小学新国語四年下「うぐいすの宿」の「手びき」)
「くさくさする」「むっとする」のような気分を表すことばを集めてみよう。
(新しい国語6上「めもあある美術館」の「ことばの練習」)
前者のような場合は,もっとも単純にことぱのいいかえをしてすます扱いがなされやすい。意味を文脈の中で考えさせていくにしても,最後にはいいかえで結着をつけることになってしまうからである。もっとも,文章読解の過程で,場面や状況や心情をつかませる意図でその単語や語句の表すものをよみとらせようとする場合もある。しかし,これは,文章読解における語句指導と考えるぺきもので,ここにのぺるいわゆる語い指導というものとは区別していきたいのである。
後者のような場合は,ある共通の性質をもった単語を集めるだけになりやすい。それは,すべて同じような使