福島県教育センター所報ふくしま No.26(S51/1976.6) -003/034page
い方をしていいという考え方につなかる危険がある。
これは,反対の性質の単語を集めるにしても同じことが言える。こうした,ことぱあつめに関しては,用例をも含めてあつめ,実際の文脈の中の微妙な差異,使われかたのちがいを確認すべきではなかろうか。
とにかく,語いの拡大を意図的にはかっていくためには,もっと工夫が必要であり,その工夫は意味・用法に関してなされなけれぱならないと思う。つまり,語いの量的拡大もさることながら,語いの意味的拡大を重要視すべきだというのである。
4.語いの意味的拡大
ある 日,三人は,大きな 町に つきました。町の 中を 歩いて 行くと,ある 家 の戸口で,むすめが ひとり,しゃがんで ないて いました。三人が, わけを たずねると, 「わたしは,今夜,ばけものに 食いころされて しまうのです。」と いいました。その 家 の 人たちも ないていました。話を 聞いた 三人は,ばけものたいじを する ことに しました。(「ちからたろう」) 東書 2下 P.97〜P.98
この文章の中には,二つの「家」があるが,それぞれちがった意味をもっている。前者は建物としての「家」であり,後者は家庭というようなかなり抽象的な意味をもち「家の人」というつながりの中でひとつの概念をあらわしているというべきであろう。
あ,ねこが いる。 かわいい こねきだね。 うち の こねこよ。 たまというなまえよ。いぬが きた。 わあ おおきな いぬだ。あら,たいへん,たいへん。たまが,あんな ところに いる。たま,たま,おりて おいで。はやく おりて おいで。りこうな こねこだな。さあ, うち へ かえろうね。(「こねこ」) 光村 1上 P.10〜P.15
この場合も,前者の「うち」は飼育主体・後者の「うち」は住居をさすというように意味のちがいがある。
このように,すでに知っている単語であってもよく考察してみると,その意味の幅は非常に大きい。したがって,その単語は知っていても,どんな意味を表すために使われたかわからない場合がある。たとえぱ,
金持ちと金の少ない人とのちがいは,いつも相場の高いところと安いところとにある。途中では似たりよったりである。そうするとどうなるか。金持ちは高いところは買いを見送る。当然資金にゆとりをのこしてある。それは気もちのゆとりでもあるので,あとからくる 突っ込み を勇ましく 拾う ことができる。 の下線の単語は,どんな意味に使われているか見当がつかないであろう。相場などにくわしい人や専門家ならぱ前者は株の相場が急に大きくさがることで,後者は株を買うことだ,とわかるであろうが,一般の人にとってはわからないにちがいない。つまり,多くの人が,この単語にもっている意味概念の中には含まれていない意味として使われているということである。
語いカとは「使用語いのカ」であり「理解語いの力」であった。その点でも,語いの意味を広げる指導を語い指導のひとつとして,もっと重く見ていいのではないだろうか。とくに,目常使われてよく知られている単語についてその意味を広げていくような配慮は,もっとなされるべきだと思う。
5.一教材の中で単語の意味を広げるための単語のとり出し方
一教材の文章の中に同じ単語がさまざまな意味で使われていれぱ,語いの意味の拡大を指導するのには,たいへん都合がよい。4であげた「ちからたろう」や「こねこ」の場合がそれである。
次に教材をあげて,いくつかの単語をとり出してみることにする。
1 越後 (今の新潟県)に住むある男が, 江戸(今の 東京)へ行って働こうと思って 2 村 を出た。秋の 3 くれ であった。
略
大きな山々の間をぬって 4 通る 高いとうげである。 男はせっせと足を速めたが,とうげの中ほどで,日はとっぷりと 5 くれ てしまった。
略
男は,すっかりとほうに 6 くれ てしまった。
略
やれ,うれしやと,男は,明かりを目当てに歩き 7 だし た。やぶをかき分けたり,岩につまづいたり しながら,やっとたどり着いてみると,そこには, りっぱな 8 家 が建っていた。
略
「旅のとちゆう,日が 9 くれ てこまっている者です。 一夜の宿をお願いできないものでしょうか。」
略
10 通し て 11 くれ たへやは、りっぱなざしきだった。 ばんご飯にと 12 出し て 13 くれ たごちそうも,山の中 ではめずらしいものばかりだった。女の人は,親切にもてなして 14 くれ た。
略
「はい。江戸へ出て, 15 働こ うと思います。」 「お 16 働き になるなら,わたしの所でいかがです