福島県教育センター所報ふくしま No.28(S51/1976.10) -023/026page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

理 科 教 育 雑 感

第2研修部 小荒井  要

 理科教育の現代化が叫ばれてから久しいが,その現代化の内容や価値をめぐって論者により,まだ区々の観がある。

しかし,少くとも各種の教育研究集会に触れて言えることは,現代化を志向する探究的学習の重要性が認識されそれに真撃に取り組む姿勢が鮮明に伺がえることである。

だが幾つかの条件,とりわけ時数の逼迫,これと不可分の関係にある入試対策などが探究的学習を推し進めることに,かなりの障害となっていることは否定できない事実である。これは探究的学習を有効に機能させ得るかということと相まって,切実な問題である。

この入試対策を本末転倒の議論と言い切るには,他の一面にふさがる矛盾の解消がない限り説得力に欠け空しい思いがする。

 しかし,それは同時に深遠な理念をもつ教育理論を否定する理由にも,全くなり得ないのである。

理科教育の現代化の構図は,「教科の構造性」と「探究の過程」の重視を骨格とする。

そして,その理想は,学門の構造性に従い基本概念の発展的系統性を重視して,その線上に教材の構造化,教授,学習の構造化を図り,それを探究の過程を通してみずからの概念発展によって主題である科学概念を達成させることであろう。

この過程を経てこそ極めて質の高い教育効果……新しい学習の転移カの獲得が期待できるのである。

 しかし,すでに予想されてきたように,この学習法は効率性に問題がある。

提示的学習法に比べて,かなり多くの時間を要し,内容の幅広い学習を侵す危険もある。

発見学習を提唱するブルーナーも,この点については明確さを欠いている。

 結局は,さまざまの現実を踏まえつつ探究としての生命を最大限に生かしていくための方略として,各指導事項に指導の濃淡をつけたり,実験室における探究的教材を精選し,教材の性格によっては教室にもち込むことの工夫を考えることとなろう。

この探究的教室には,いろいろの処方箋を構想できるがその一つとして,科学概念の修正的性格を認識させる構図をぜひ考えておきたい。

科学概念,科学の論理的形態は,事象の統一的記述を,なし得るよう構造される。

そして,それは不断に流動し修正と再編成をくり返す毎により一貫性があり,より包括的な理論構造に転換され次第に事実にアプローチする。

従前の理科教育では,この概念構造の発展パターンを反映するのに怠慢であったと言える。

そういう意味で,ときおり挿入する科学史は科学者の歴史ではなく科学概念の構造,論理的形態が更新されていく流動を,その根拠との関連において展開すればその意義は高く,これも立派な探究的学習となる。

 90%を超える層(高校生)の理科教育の在り方と,理科学習の不消化問題が不可分の関連において今日的議論となっている。

将来予想される全生徒共通の総合理科の構想も,これに起因している。

確かに能力,適性を異にする多様な生徒を対称とするとき特に学力差を生じやすい理科においては,「不消化」は止むを得ない現実の問題として起きて来る。

現行の1,2(ローマ数字)の積み上げ方式も,これの解決策の意味をこめて打ち出されたものであるが,現実は充分な機能を果すことに困難を感じさせている。

 結局は,単位数の増加とか,思い切った教材の精選などが考えられようが,ここで,注目すべきことの一つにプログラム学習が,この面で成果を収めている実例があるということである。

勿論,探究的学習とプログラム学習は,理念の面で相反する。

しかし,部分的にはプログラム学習が効果を発揮できる余地があろう。

またプログラム学習においても効率性だけの追求ではなく,複雑な系である理科教育の現実と創造性などの多様な価値観を注視した,より次元の高い工夫の余地もあろう。

 ただ,ここで重大に思うことは,理科教育の現代化の核心は,あくまでも教科の構造性の重視という立場から選ばれた教育内容と探究の過程を経る教授,学習法で構成されていることを確認して,もし,他のさまざまな方策を構ずるとすれば,それはあくまでも,この現代化を核として,これとの関連でなされるべきということである。この踏まえどころを心した上で現実を反映する柔軟さをもって,多くの先人達が理論として画いた構図を実践によって検証を展開する等の過程を経て,発展的に修正を重ね,まさしく地についたものを求めたいものである。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。