福島県教育センター所報ふくしま No.32(S52/1977.8) -002/033page

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学習指導と教材研究

郡山女子大学短期大学部 教授 長 谷 川 寿 郎

1.学習について

(1) 語源分析的考察

 学習の意味を心理学的に考察することは,一般に行われているところであるが,それとは別に,学習というコトバの語源的な探究をすることによって,その意味するところをみてみよう。そうすると,そこに,学習指導についての基本的ないくつかの重要なポイントをおさえることができるように思われる。

 さて,学習は,学と習との総合一体のものであるが,教育の現場の実際においては,思いのほか「習」の義が疎かにされてはいないであろうか。(なおこのことに関連して,後に言及する。)

 それはとにかく,学は「学ぶ」である。学ぶは「まねる」ことであるといわれる。しかし,それは単なる「ものまね」ではない。人が生きていく上に価値があるとされるものを,まねて,覚えることでなくてならない。これは・学の字を分析して,その象形の意味するところをみれば,うなずかれるところである。

 ところで,古代ギリシアのコトバで「学ぶ」に当るものは「マセイン」であるが,これは「考える」に当る「メン」から出ているという。(渡部昇一,英語の語源,講談杜現代新書,P64参照のこと。)考えるということが学ぶの基盤をなすのであって,考えることなしには学ぶことが成り立たない。学ぼうという意図のある場合には,とりわけ大事な役割をになう。

 また,次のようなことも検討に値するであろう。英語のラーン(1eam)やドイツ語のレルネン(lemen)は,ゴート語のライス(1ais)一私は知る,あるいは知っているに当るコトバであるが一の起動態であって,知るようになる,または,知っているようになる,という意である。従って,「習」に当る語義は含まれていないのではないかと見られることである。だから,「習う」に当るコトバの,プラクティス(practice)やジッヒ・ユーベン(sich uben)などと合わせて表現される必要が出て来る。たとえば,ヤスバース(Jaspers)が,教育の進め方として,練習させる,学習させる,成長させる,を挙げているが,学習させるは原文でレルネン ラッセン(lernen lassen)であって,「学ばせる」であると思うが,どうであろうか。(トルケッター著,三輪健司訳,教育と自己存在,理想杜,pp189-196参照)

 ともあれ,学習という場合には,学ぶというにつきない。習 (シュウ) ,習うという面をあわせているのである。学而時習之が,学習と熟する出典とされていることは,お互い承知のところであって見れば,このことは,たしかに捉えなおされてよいと思う。

 以上のような考察からだけでも,次のようなことをおさえることができよう。すなわち,学習ということは,生きていくのに価値のあるものごとを学ぴ,これを練習して身につけ,よりよく生きていくことを実現する行動に外ならない。しかも,このためには,よく考えるのでなければならない。思考力が大事だ。思考力といっても,とりわけ,判断力が根本的に重要になってくる。

 このように見て,学習という行動は,学習する者の主体的行動であるのが本来的なものだということも,確かにおさえられなければならない。

 学習指導というのは,こうした学習を,学習するその人に,確実に成し遂げさせる指導でなければならない。そのために,どのように対処しなければならないかについては,2において考察するとして,さしあたって,当今の学習指導では,「練習する」ことについての指導がどうも十分でない,したがって身につくというところまではいかない。それは,学習の本義に即していない指導ではないかという点を強調しておくこととする。

(2) 構造分析的考察

 学習という行動を,構造の面から見ると,次のような契機において成り立っていると見られるであろう。

学習という行動の構造

 (1)は,学習の目あてであり,(2)は学習の内容・対象であり,(3)は学習の意欲,(4)は学習の活動であり仕方である。学習の目あては,知識や技能や態度の獲得が当面して目ざされるのであるが,それらは当然身につけて,十分使うことができるようになることが目ざされなくてならない。いや,そればかりではない。学習の仕方を身につけて,既知を土台に未知をひらくことができるようにならなければならないのであって,このことを成し遂げようと目ざすべきなのである。

 (2)は,いわゆる教材にかかわるものである。教材は,一応,学習する者にとっては,客観的に存在するもの,いわぱ,object matterであるが,それにとどまつてあるものではない。自己が,学習の目あてに到達するためには,主体的にそれにかかわり,それを通して学習を展開しなければならないところのもの,したがって,よそ


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