福島県教育センター所報ふくしま No.33(S52/1977.10) -022/026page
教 育 相 談 事 例 研 究 (その2)
――登校拒否児 A郎(中3男)の取扱いとその経過――
研究・相談部 吉 川 浩 先
1. インテーク(受理面接)から
電話で,本児の母親が「昨年10月中旬頃から腹痛を訴え,医療を受けさせた後は腹痛がなくなったが今度は学校へ行こうとしなくなったので,どうしたらよいか」と訴えてきた。
面接日時を5月 日午後3時に指定し,インテークをはじめた。母親のみの来談で,口述の概要は下記のとおり
1) 本児は来所予定を知りながら外出し,定刻まで帰宅せず,母親のみ来所。父親は,来所の意欲なし。 2) 昨年7月,虫垂炎のため入院。退院後10月中旬までは登校したが,下旬近くよリしぱしぱ腹痛を訴えたが,本児の甘えと思い無視していた。 3) 本年1月初旬になって某医院へ行き,2月に精密検査の結果,腸癒着と判明し入院。物理療法と投薬を受けた。 4) 退院後,週3〜4日位は登校したが,新学期に入って10日程しか登校していない。 5) 本日は「センターへは学校に行ってから」と珍しく出かけたがそのまま帰宅しない。 6) かつて(昨年7月頃),真夜中に2〜3度家を出ることがあったが,現在は落ちついてきたようだ。 7) 昨日,担任が家庭を訪問し,本児に直接「明日は,教育センターに行くのか」とたずねたが応答しなかった。 8) 毎日,昼ごろまで寝ており,夜は12時半ごろまでテレビを視聴してから寝る。(このテレビは,新聞配達のアルバイト収入で買ったものである) 9) 父は,県立 商出身の公務員,母は県立 女高出身で,中1の妹と4人家族の中流家庭で,本人の長欠を怠休とみていた。(妹は母に似て勝気だとのこと) ここで問題となるのは 1) 母の訴えだけでは登校しないという状態が「いわゆる登校拒否症」にあたるのか,「怠休的傾向」なのか判断しかねること。 2) 本人が「登校しないということで,周囲に何を訴えているのか」ということが,とらえられないこと。 ただ,父母・妹・教師から「登校を促す刺激」は,かなりあっただろうということや,「来所の勧め」ということで,警戒と緊張が嵩じているだろうということが推察されたので「本児に対する登校刺激の禁止」と「母親の自律訓練法(母親自身の情緒安定をねらう)の自習」を課し,一方・本児に来所してみたいという気持ちを起こさせるため,電話による対談を数度行なった。
さらに,父母に「エゴグラム」による自己分析と「親子関係診断検査」のチェック・「長欠児童生徒類型分類チェックリスト」を課しておいた。
本児は日中は調子があまりよくないとのことなので,初回の電話は夜間自宅から電話をしたが,ラ行とヤ行の音声のやや不鮮明な,虚勢を張った感じの話しぶりで「本日は,担任と話し合っていたので,来所できなかった」こと,「月曜になると登校したくなくなる」こと,「火曜には, 教の支部にいく」,「水曜に登校してみたら,担任からは何もいわれなかった」,「体育は好きなので,土曜日には校内競技会の係活動に参加した」ことなど,こちらの,ゆったりしたうなずき応答だけに誘われてか,いろいろと話してくれた。おわりに「折角お休みのところ,いろいろと話してくださってどうもありがとうございました。また,あなたの方で,話したいことがありましたらお電話くださるなり,こちらにおいでになりたいときは日時をご連絡くださるとありがたいのですが」と,一人まえの大人として取扱うムードでおわった。
2. 本児との面接談話と性格検査プロフィル等から
5月 日月曜日に来談したいとの連絡が本児から直接連絡があり,午前一番の時間帯を選んで来所してもらう。(かたちとして本人が自主的にこの時間帯を選んだことになるようにすすめておいた。)
服装・身の廻り品・動作に,虚勢と誇示がにじみでており,身体はやせ,目だけがぎょろりとした,病気あがりのような感じに,浅黒い感じを加えたようす。
誇示・虚勢の言動をそのまま,うなずき応対で受けいれたあと,話題の中の「拳法・剣道」のことから,精神統一のための自律訓練法ということに発展させ,自律訓練法の簡便法を,私と一しょに実習するところにもちこむことができた。
言語刺激への感受性は,かなり高いようで,温感の誘導も大変うまい。――ワンサイドミラーから観察していた母親も,おどろいていたとのことである。
ゆったりと心身の落ちついたところで「これからの,30分間を,あなたが話したいことに使う時間に差上げますので,どんなことでもいいから自由に話してください。話したくなかったら,何も話さなくても結構です」ということで接したところ,はじめは,キョトンとして