福島県教育センター所報ふくしま No.34(S52/1977.12) -016/026page
<特別活動シリーズ No.4>
学級指導と学級会活動の指導のあり方
第1研修部 大 草 栄 治
特別活動については,指導の経験者は多くいても,学識者や専門家ぱ少いといわれている。それというのも,特別活動が教育課程の一領域として,教育課程内に位置づけられた歴史が浅いからである。
しかしながら,児童生徒の学校生活の基盤となる学級集団の場で,学級担任の指導によってすすめられる「学級指導」や「学級会活動」が,学級の時間として週時間表に位置づけられ,毎週いずれかが実施されているのにもかかわらず,依然としてその本質にかかわる問題が指摘されているということはどうしてなのだろうか。
そこで,今回は,「学級指導」と「学級会活動」の指導における学級担任の働きかけの本質をふまえたうえで,それぞれの特質と指導上留意すぺきことについて明らかにしたい。
1. 学扱担任の働きかけの本質 「学級指導」と「学級会活動」は,学級担任によって指導されるということに重要な意義がある。 それは,児童生徒をひとりひとりとしてみつめる(個人理解)ことと共に,集団としてもみつめる(集団理解)ことがよリよくできるからである。そして,的権な「励まし」や「指導助言」をしながら,ひとりひとりの児童生徒の人格―やるぺきこと(認織的領域・知識,理解),やる気(感情的領域・態度,習慣)・やり方(神経筋肉的技能の領域・手技的技能)―の調和のとれた発達を図ることが可能だと考えられるからに外ならない。 「学級指導」は,児童生徒に自分自身のあり方を決定させることにその特質がある。 「学級会活動」は,学級の間題を解決するための集団思考による話し合い活動にその特質がある。 学級指導においてそれぞれの児童生徒が現実の間題「状況」にかかわって決定した意志は,その後のそれぞれの「行動」によって示されなけれぱならない。 一方,学級会活動におけるそれぞれの自由意志の最大公約数として決定された集団の意志は,その後の「集団活動」によって示されなけれぱならない。 しかしながら,個入の行動や集団活動には,必ずつまずきがあることを予想する必要がある。その際に,どうしても必要となってくるのが,学級担任による働きかけである。 それは,児童生徒が本来持っている自己実現を目指して自己発達をしようとする自己形成カを信じて,絶えず自分の行動や集団活動への自己評価を促しながら,根気強く,励まし,育てていくという働きかけである。 そのためには,最適な場と機会をみつけ出し(適時性),児童生徒が学級担任に指導助言を期待していることや学級担任として指導上欠くことができないことについて(適切性),現実の具体的な間題となる「状況」をふまえて「援助(励ます)・指導(育てる)」をしなけれぱならない。 ここでいう「援助・指導」とは,教師と児童生徒の親和的な人間関係を基盤として,児童生徒の思考や行動と集団としての思考や活動を「受容」し「支持」する(援助)とともに,発達課題をふまえたうえですすめる個人理解や集団理解を深めながら,現実の具体的な問題となる「状況」のもとでの個人や集団の思考と行動(活動)に対する「指導助言」を与えること(指導)を指すものである。 こうした学級担任が担っている重要な働きかけの効果をあげるためには,教師も児童生徒もその人格の尊厳は全く同じであり,それぞれの個性は重ね合わせることのできないかけがえのないものであるというとらえ方をし,教師の日常の「思考」やr行動」が,人間的な温かさに裏づけられ,児童生徒の「思考」や「行動」の指標となるようでなけれぱならない。 過大な学級担任への期待や自己本位な学級担任への期待は,改めさせるようにしなけれぱならないが,学級担任に信頼を寄せようとする純粋な期待には,どうしてもこたえてやるようにしなければならない。 そうすることこそが,教師と児童生徒の親和的な人間関係を築いていくための基盤となることだからである。 2. 学級指導と学級会活動の特質と指導上の留意点 学級指導は教師の計画的指導であり,学級会活動は児童生徒の自発的・自治的な活動であると安易に分けたり,簡単に割り切ってしまうことはできない。 なぜならぱ,学級指導においても児童生徒の自主的な実践活動をできるだけ助長するように援助・指導をすることも極めて大切であるし,学級会活動においても,教師の適切な援助・指導がなけれぱならないからである。 したがって,学級指導も学級会活動も児童生徒の活動の面からの区別は困難で,類似の活動として展開さ