福島県教育センター所報ふくしま No.40(S54/1979.2) -003/030page
で,児童生徒が本音を出し合い,自分の中の本当の問題に直面するよう学習過程はすすめられなければならない。そのためには,教室によく掲示されている忘れ物調べとか家庭学習状況などを示すグラフなどは,学級指導の資料としては不適切であるといえる。なぜならば,このような資料は,集団生活にわける相互規制の働きはもっているが,反面,しばしば児童生徒にとって脅迫的圧力となることが多いからである。教師にとってそのような意図がなくとも,子ども達にはそのように作用し,授業のスタートから自分の本当の気持ちをいえないふん囲気を児童生徒は感知してしまう。
このような流れの中では,子ども達は自分の本当の気持ちや考えなどを述べることをせず,ありきたりの建て前を自分の本音のような形でいうことになる。そこには,赤裸々な自分を見つめ,そこを出発点・立脚点として自分をよりいっそう高めていこうという働きは,ほとんど期待できない。
学級指導においては,児童生徒が問題と自己とをかかわらせながら本当の自分(問題)を見つめ,そして,自分自身のもつ弱さを一歩ずつ克服していこうと意欲づけてやることが大切である。そのためには,指導過程がどうあるべきか,が問題になってくる。
具体的な事例として清掃の問題を考えてみることにする。児童生徒の多くは,意欲的に学校の清掃にとりくむことが少ない。ふぎけたり無駄話をしたりして,なかなか清掃にとりかからない。班長などの注意もしばしば無視する。
このような実態を,学級指導をとおして解決していこうとするためには,このような事実を児童生徒一人一人にはっきりと自分の中に受け止めさせ,そのような自己に対して鋭く向かっていかせ,そして,人間的弱さをもつ自己(清掃を怠ける)を自覚させることがまず第一歩である。
このとき,教師や級友の話あるいは資料に対して,個人個人が人間的弱さをただ単に考えさせたり発言させたりするよりも,自分についてノートに具体的に記述させることの方が,自己理解のためには効果的である。すなわち,自己に問いかけることに消極的であったり,他人事としてとらえてその問題からのがれようとする児童生徒に対して,記述させることは自分を見つめさせるきっかけとなるからである。
このようにしても,一方では自己の弱さを認めることに消極的な児童生徒がでてくる。このようなときには,クラス全体の意識調査などの資料を用いて,他の級友達も清掃はいやがっていることを示してやった方が効果的である。皆も清掃はいやがっているんだ,清掃のいやな仲間がたくさんいるんだ,といった意識になれるような資料が大切になってくる。そこから,
「ぼくは掃除なんていやだいやだと思っていたけど,他の人もいやだいやだと思いながらやっているのだなア。ぼくはどうして掃除がいやなのだろう?めんどうくさいからかな?くたびれるからかな?」というように,子どもが自分の本当の意識に迫るように援助すること,つまり,嫌だと思っている本音(人間的弱さ)を自由に表現できるふん囲気,受容的なふん囲気を感じさせていくようにする。
授業では,このように,自分の問題に気づかせること(自分の人間的弱さに対決させること)の指導に,1時間の大部分を費やすことになろう。というのは,自分の人間的弱さを覚知することを繰り返し繰り返し行い,それをいっそう深めていけば,それと同時に,自己指導,自己実現ということが生じてくるものと考えられるからである。
いいかえれば,児童生徒の学習過程は,まず自分自身の人間的弱さを理解し,次にその弱さを克服し,最後に自分の行動の仕方を正しく決められる,といったように順序よくステップをふむものではなく,それらは, 自己覚知を契機として同時に生ずる と考えられるのである。したがって,児童生徒に対していかにして自己覚知させるかが,学級指導のポイントになってくる。
一方,1時間という短い授業の中で,より完全に自己克服と自己修正,自己実現をさせようとすることがよくあるが,単位時間の中でこれらを達成するほど深く人間的弱さを覚知させることは,およそ不可能であることをも留意しておくことが必要であろう。
3.資料の意義と役割
学級指導における資料は,児童生徒各自が自己のあり方(方向)を決定するとき,助力としての役割・意義をもつものであって,決して児童生徒に代わって彼らのあり方を決める役割をもつものではない。ましてや,児童生徒のあるべき方向を,彼らから離れて指示したり決めてしまうものではない。すなわち,資料は 援助者の役割 を担うものであって,決定者の役割を担うものではないのである。
また,学級指導においては,単なる基本的な生活行動様式等の知的理解にとどまることなく,児童生徒の感情のレベル(やる気)にアプローチすることが大切である。そのためには,「このようなとき, 自分ならどうしたらよいか 」をよく考えさせるようにしなければならない。「建て前はそうかもしれないがやる気にならない」という,いわゆる意識と行動とのズレをなくすためにも,児童生徒が自ら積極的に自分のよりよいあり方を考えるように援助してやることが大切である。
このように,児童生徒の感情のレベルにまでアプローチするためには,彼ら一人一人が自分のあり方を自分で決めるように,できる限り教師が援助してやることが要求されてくる。この援助の中に資料が含まれるのであって,援助の仕方,援助の内容の1つが,資料であるともいえるのである。