福島県教育センター所報ふくしま No.40(S54/1979.2) -004/030page

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そして,彼らの自分の決定がよりいっそう望ましいものになるためには,参考にすべきものが,偏りもなく,そして,周囲に豊富に存在し,活用されなければならない。それらは,教師の助言であり,友人のことばであり,先人の事例であり,図書であり,用意された印刷物や録音テープや統計資料・グラフ,等々であって,広い意味での資料がそれである。

しかし,あくまで大事なことは,自己決定は児童生徒各自であって,外から与えられる資料では決してないことである。というのは,たとえ外から与えられた資料によって,児童生徒の心構え,態度,意欲のあり方を無理に決めたり指示したりしても,彼らはそのようなあり方を実際に行動化することは考えられないからである。あくまで,「この場面では,どのようにしたらよいか」ということを 自ら決定するとき初めて,その決定が行動化されていく のである。

4. 望ましい資料の条件

児童生徒が自己決定をするときの援助者としての役割をもつ資料には,望ましい条件としてどのようなものがあげられるだろうか。具体例をあげながら,主なものを整理してみる。

(1) 題材と密接な関係をもつもので, 児童生徒の問題意識を呼び起こすことのできるもの であること。

ある口のことでした。
放課後,教室のそうじ用具いれ場から,こんな話し声がきこえてきました。
「やれやれ,ぼくはこしがいたくてしかたがないよ。子どもたちがおそうじの時間になると,ぼくをひっぱりだこにするし,なかには刀とまちがえて,チャンバラごっこするので,こしがいたくてたまらないんだよ。その上,そうじがおわると,ポンとなげすてられるので,こしがまがりっぱなしで,つかれてしまうんだよ。」
するとぞうきんさんが,
「わたしも,かなしくてかなしくて,なみだが出るんですよ。わたしは,よごれた水の入ったバケツに,そのままほうりこまれてしまうですよ。だからなみだがいっぱいになって,ゆかをぬらしてしまうんですよ。」
「ほんとうにいやだね。」
「なんとか,ならないかな。」
そっと,そうじ用具ボックスをあけてみると,どうでしよう。
ぷんと,いやなにおいはするし,ほうきはこしをまげたまま、かべによりかかっていました。ぞうきんはだらだらと水をふくみ,ゆか一面がぬれていました。

この資料は,「ほうきとぞうきんさんのおしゃべり」という題材の中で,授業の導人時に用いられたものである。擬人化したほうきやぞうきんによって,仲間から呼びかけられたような親しみを感じさせ,子ども達に問題意識を呼び起こすことに成功した例である。

ともすると,「ぞうきんはどんなふうに仕末しておけばよいのかな?」とか,「ほうきでチャンバラなんかやって遊んでいる人はいないかな?」といったように,指示的なそして誘導的な発問によって,無味乾燥なやりとりになりがちな題材を,子ども達に自分の問題として,その問題に一人一人が真剣に対決していく場面構成に大きな役割」をはたしている。

「ほうきとぞうきんさんのおしゃべり」
「ほうきとぞうきんさんのおしゃべり」
(自作資料――録音テープ,福島市O小学校)

(2) 問題の解決の仕方を児童生徒が考えるとき、 多様な解決の仕方を可能にするもの であること。

掃除って何のためにするのだろう?誰のためにするのだろう?よく考えてみると,私は,嫌という気持ちが先でこんなことを考えてもみませんでした。(中略)
私は思いきってやる気になってやってみようと考え,一日,一生懸命やってみました。やってみて感したことは,とても気持ちがよかったことです。この気持ちを友だちにも話してあげたいくらいです。掃除をすることは大変なんだと考えて,嫌だ嫌だという気持ちだったことが,今ではおかしいような気がします。(児童作文)

学級指導では,このような作文や事例を資料として用いることが多い。友人の努力している姿をきかせ,児童生徒のこれまでの経験と結びつけて,彼らのこれからのあり方を考えさせるのに用いるが,このような資料ははたしてどのような効果があるのだろうか。

この資料は,児童生徒にこれからのあり方をはっきり指示していることから,まず不適切であるといえる。望ましい資料としては,「多様な解決の仕方が可能であるもの」ということがいえる。この資料はまた,余りにも立


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