福島県教育センター所報ふくしま No.40(S54/1979.2) -005/030page
派な結論を示しすぎている。この作文の児童のように,だれもがこんなに立派に自己変容することができるであろうか。
この作文をきいた児童の大部分は,作者を自分からはるかにかけ離れた,自分と無関係な人間として受けとるに違いない。そして,ほとんどの児童は,この作文の方向で建て前論を上手に述べるにちがいない。しかしそこには,自己を変容し,行動化しようとする児童は期待できないであろう。
(3) 教師や一部の人の 一方的,一面的な見方,偏った考え方の内容を含んでいないもの であること。
今,私はやった!という気持ちでいっぱいだ。やっと目的を果たし,今までの苦しかったことからようやく解放され,はればれとした気持ちだ。ここまでくるには,とても苦しい不安な毎日の連続だった。クラスの仲間は,休み時間にTVのことについて話していたが,家で全然TVを見ない私にとっては全く関係のないことだった。あせって勉強が手につかないときも何度かあったが,私はともかく,”希望校に人ること”,”今やらねば”と自分にいいきかせてやった。ともかくがっちり頑張った。
(高校入学の先輩から)中学3年の受験をひかえ「学習方法の改善」という題材などでよくとりあげられる資料である。教師が決めた方向に導こうとして用いられる資料であるが,「そうあるべきはよく分るが,実際はそうできなくて困っている」というように,生徒にとっては単なる知的理解にとどまり,意欲化や行動化に進展しない。
この資料にはまた,家でTVを全然みないという非現実的な内容を含んでいる。このことによって,大部分の生徒は自分と関係づけて考えることを放棄してしまうであろう。わかっているが現実的には実行できないでいる自分をみつめさせ,共同思考によって,それを一歩ずつ克服していくようにする資料が大切にされるべきである。
児童生徒の 心がけや意志にすべてを帰してしまうような資料は,学級指導では適切といえない。
(4) 資料の内容が児童生徒に 理解しやすい,身近な,具体的なもの であること。
やあ,1年組のみなさんこんにちは!(中略)
きょ年のお友だちはたくさんいて,みんなぼくのことをかわいがってくれたよ。ぼくのそばで本を読んでくれたり,おもしろいお話をたくさんしてくれたの。とっても楽しかったな。だからお友だちのために,ほっぺをふくらませて、いっしょうけんめいまっかな顔をして,あたたかくしてあげたんだよ。(中略)
ぼくのなかまで,とってもかわいそうなストーブくんもいるんだよ。(ア)どうしてだかわかるかな。
ばくのまわりで走り回っている子どもをみるととってもはらはらしてね。それから,ズックをえんとつにつけたりするといやなにおいがしてね。(イ)ぼくたちは,みんなにやってほしくないことがいっぱいあるんだよ。
(ウ)きょう,先生とストーブにあたるときの役束を相談してほしいんだけどお願いできるかな。
ぼく,みんなにあえて,とってもうれしいよ。なかよくしてくれる?じゃ,よろしくね。
(自作資料 福島市O小学校)この資料は,「ストーブさんこんにちは」という題材で用いられたもので,小学校1年生という発達段階を考慮し,ストーブを擬人化し,ストーブが子ども達に呼びかけるという手法をとっている。
(ア)〜(ウ)によって児童の問題意識を呼び起こしていると同時に,(イ)と(ウ)の問いは,問題の解決の仕方を児童にゆだねている。このことによって,でてきた解決策は自分たちの自己決定を意昧している。
また,擬人化された資料であるが,児童にとっては,理解しやすい,身近な,具体的なものであるため,共同思考にむける多様な活発な討議が期待できる。
一方,教室に初めて入るストーブに対する子ども達の期待や不安をとりあげながら,単にストーブにあたるときの約束をことばで指導することなく,せばめられた教室空間での過ごし方といったことに発展させることもできる余地を残している資料といえよう。
このように,教師集団による自作の資料は,教師にとっては大変な労力を要求されるが,子ども達や学校の実態を的確には握していること,指導過程への位置づけが明確になることから,学級指導においては大きな効果をあげることができる。この学校のような実践研究のあり方は大いに参考になろう。
以上のほかに,望ましい資料の条件をとりだせば,次のようなものが考えられよう。
(5) 資料は量的にみて, 1単位時間の指導にふさわしいもの であること。
(6) 一人一人の児童生徒の希望,期待,不安,つまずきなどの 内面や適応状況を的確には握しているもの であること。
(7) 児童生徒の積極的な参加によって集められた 資料であること。
〈参考図書・資料〉
・生徒指導と特別活動・学級指導 坂本昇一著
・福島市立大笹生小学校 学級指導の授業研究と実践