福島県教育センター所報ふくしま No.40(S54/1979.2) -011/030page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

ことば一つで

次長  後藤 篤一

葬式帰りの雨の午後であった・私は・温泉の,とあるバス停で今くるか今くるかとバスを待っていた。そこには腰の曲ったおばあさん,大きな買物包を持った中年の主婦・小学2,3年らしい男の子など7,8人の乗客がビルの壁に身をよせながら,いつやむとも知れない雨を避けていた。日曜日とスーパーの開店ということもあって,大して広くもない道は人と車で大変な混雑であつた。

定刻よりずいぶん遅れてバスかきたが,客の存在を黙殺して通過してしまった。おや!感違いしたかなと思い,もう一度ポールの時刻を見たが,間違いはないし,その他の特別な表示もない。さらに待つことしばし,バスがやつてきた。手をあげて合図をしたが、今回もまた運転手さんは駄目だというように前方を指さして行ってしまった。

そろそろY駅発の汽車時間が気になってきた。そのうち何か話合っていた待合客が運転手さんの指示した方へ歩き出した。そこには繁華街からはずれたバス停があり,ほどなく乗車できた。発車して間もなく,今度の運転手さんは,このバスはA温泉発Y駅行きであること,出発時間が大幅に遅れたことを丁寧に詫び,なかなか感じのよい方であった。

私は車の最後尾の一段高い座席に坐り,先刻のことはすっかり忘れ,故人のことをあれこれ追想していた。工事中の凸凹道にさしかかったのだろうか,突然ガクンとゆれて横にとばされた。喪服のズボンが何かに引っかかったように感じた。ふくらはぎのところに手をやると3センチほどのかぎ裂きができていた。一瞬しまったと思い,腰板にさわるとボルトが抜けていて腰板の角がまくれていた。そこに運悪く引っかけたらしい。

次のバス停に着いたら事情を一応話そうかと思ったが,乗客も多いことだし,運転手さんの心を乱してもと考え終点まで待つことにした。Y駅で一番あとにおり,事情を話したところ予期しない申し出にびっくりしたらしく,今までの態度とはうって変わってきつい顔になった。運転手さんはハンドルを握ったまま「そんなことあるはずないでしょう。」という。ちょっと座席を見てくださいとお願いすると,しぷしぶ立ちあがって「ああ,ボルトがはずれている。帰ったら直しておくから。」そして「俺のところからは見えないんだからあんたももっと注意していればいいのに。」と剣もほろろの返事である。

時によっては度をすぎる被害者意識が幅をきかすこともある現今ではあるが,私としては,これから乗る人に同じことがあってはと考え,静かにありのまま話したつもりだったが,立場が違うとこうも誤解されることもあるらしい。車の悪い個所を直すのは大変結構である。是非そうあってほしい。しかし誤解されっぱなしは悲しい。何か乗客の心にふれる温かい「ことば」一つが欲しいような気がした。

よく「ことば」はコミュニケーションをとりもつ道具であると言われている。「ことば」はある時は「文字」をつかって「書きことば」となり,ある時は「音声」をつかって「話しことば」となって,私たちの考えや感情あるいは意志を伝えるものである。「このバス停は日曜日には止まりません。」という「書きことば」,「どうもすみませんでした。」という「話しことば」があったならバス会社も運転手さんも乗客も何のわだかまりもなく,お互いに善意にふれ,理解し合えたと、思う。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。